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ちょっと、お嬢さん

人事異動で新しい部署に行った
新しいといっても、私にとって新しいというだけで、そこは55歳から65歳までのジジイとババアがひしめく、最後に会社にご奉公する部署だ
新人が配属されたら、自分はこんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃない、と人事に駆け込むだろうが、55歳以上となればこの先転職するのは大変だとわかっているので、渋々働くだろうという目論見の人事である

そして私は56歳
オムロンの体脂肪計での肉体年齢は41歳
だがそれはマイナス15歳が最高なので、体脂肪率8%だから実際はもっと若い値が出てもいい
だが、そんなことを言っても人事部から見たら56歳
人事部はオムロンの体脂肪計ではないのだ

そんなわけで夢のテレワークは終わり、毎朝9時半に出勤し、座っている
座っている、としたのは、まだ何も働いていないからだ
業務の説明を受けている段階だ

どうせ楽な仕事だろう、とタカを括っていたが、実際はとても忙しい
普通の部署なら即コストカット対象になるような会社が損をする契約を、会社と会社の力関係のために結ばされていて、その金のやり取りのオペレーションをする部署だ
単なる伝票を起票するだけなら気づかないだろうが、意味を考えるとそういうことをやる部署なのだ 

そんなわけで私が配属された部署は、大変さゆえにまともで、使える人が配属されているのだが、隣の部署は行き場を失った人使えない人たちの吹き溜まりとなっている
なので、緊張感がまるでない

その隣の部署に、おそらくもうすぐ65歳になると思われるジジイがいる 
私はそのジジイを初めて見たが、ジジイ本人は自分はこの会社で顔が広いと思ってるらしく、デカい声で業務と関係ない話をし、自分の家のように振る舞っている

私はそのジジイの態度は嫌いではない
元々、私の会社はそんな人の集まりだ
それなのに気がつくと、ちゃんとした会社のようなことを社員に求めるようになった

だが、それは時代が変わったので仕方ない
江戸が明治になったらちょんまげは切られ、刀は取り上げられた
歴史と呼んで俯瞰できるほどの時間の経過したので、それは一晩でそうなったかのような印象を持つが、実際は何年もかかってそうなっていった
会社が社員に求めることが、気がつくと変わっていたとしても、それは卑怯なことではない
そもそも、会社を動かす人は対外的に人と会わねばならないので、まともな人が多くなる
そのまともな人が会社を動かすので、どんな会社であっても世の中の平均に近づいていく

そんなわけで、中枢の部署ほどまともな人間が幅を利かすのだが、隣の部署は会社の周辺に当たるのでまともな人がいない
そのため声のデカいジジイが幅を利かせ、やりたい放題となっている
そしてそのジジイが、やらかした

ジジイはその時、自分の席を離れ、そこから10メートルくらい離れたフリースペースにいた
自分のデスクの方に向かって歩く女性に用があったのか、こう呼びかけた  

「ちょっと、お嬢さん」

いつも以上にデカい声だった
フロア中に聞こえる声だったが、呼び掛けられた女性は立ち止まらなかった
ジジイは再度、こう言った

「ちょっと、お嬢さん」

2回目の呼びかけで、その女性は渋々立ち止まり、振り向いた
そしてこう言った

「お嬢さん、という呼びかけに振り向いた自分が微妙」

女性は40代後半
正確な自己分析である

その言葉に私の前の席の男性が、くすりと笑った
それは笑ったことを周囲にアピールする笑いではなく、思わず出た笑いであった
しかし、その笑いについて部長席に座っている別の女性が反応した

「それ、アウト」

くすりと笑った男性は、「はい、すいません」とすぐに頭を下げた

私は部長席に座っている女性が偉いのかどうかわからない
何しろ異動して二日目、座席表を見て名前を確認しているくらいなので、力関係がわからない
だが、その女性は私の部長でもなく、笑った男性の部長でもない
私がわかるのは、机が他の机と90度違う部長席の向きだということと、その女性は外の会社の人と接するかのような紺のジャケットとスカートを履いているということだ

いずれにしても、私の前に座っている人は、自分で「ちょっと、お嬢さん」と言ったわけではない
その言葉に反応して、ゲップやおならがつい出てしまうかのような自然な反応としてくすりと笑っただけでる
そして、たったそれだけで部長席の女性から嗜められた
私など、前の部署で隣の人が電話口で自分の「菊池」という名前を相手に伝えているのに、何度言っても相手に「菊池」と聞き取ってもらえないという事態に対し「金玉のき、クンニのく、ちんぽのち」と助け舟を出し、感謝されたことがある

大変な部署に来てしまった
私は天を仰いだ
そういえば、「ちょっとお嬢さん」と言った隣の部署のジジイと私はやたら目が合う
ジジイは自分と同じ匂いがすると思って私を見ているのだろうか?


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