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勝つことの意味って…何のために部活をするの…

#部活の思い出

そこまでして勝たなくていい

小学校から大学までソフトボールをしていた。

大学は、毎年インカレに出場していた。先輩は国体出場者、強豪高校出身者と強者ばかりだった。
せいぜい県大会でベスト16に入ったくらいのチームにしか所属していなかった私は先輩たちのプレーに驚いてばかりだった。
ただ、部員数はギリギリで、新入部員の私たちを入れても、ベンチ待機は、ソフトボール初心者の先輩と控えピッチャーの2人だけ。

体育大学ではなかったが、練習は毎日あった。初心者の先輩も、毎日毎日練習し、私たち後輩以上に細かい仕事をしてくれていた。

でも、先輩が試合に出ることはなかった。卒業前の最後の試合にも出されることはなかった。

私たちは勝つために、毎日毎日、厳しい練習をした。
私はソフトボールをやるためにその大学を選び、一人暮らしまでさせてもらっていた。

そんな思いでソフトボールをやっている私でも
最後に先輩が出場して、たとえ負けてもいいと思った。
そこで1勝することがその後の人生を左右するほど大きな意味をもつのか。
打ち上げ後に、泣き崩れていた先輩を見て、勝つことに何の意味があるのだろうと悲しく思った。

勝つことの意味ってー

一つだけ気づいたこと

息子が高校に入り、男子ソフトボール部に入部した。野球経験者だが、今度はソフトボールをやってみたいと言った。
野球とソフトボールの違いにピッチャーの投球フォームがある。
このピッチングフォームに苦戦しているチームは多い。
野球もそうだが、ソフトボールもやたらとピッチャーに注目が集まる。
極論を言えば、ピッチャー一人が大変な思いで戦っている、労われて当たり前な存在。

息子たちの試合もそうだった。初めて覚えたフォームで投げているんだから、コントロールが定まらないのは仕方ないでしょ的に、とにかく四球の連続。
止まらない。なにもできず、茫然と立ち尽くす守備陣。

そんな中で、立ったり座ったり、後ろに逸れたボールを追いかけたり、キャッチャーの動きが目についた。みんなはこの状況を見ているだけでいいが、対応をしているキャッチャーは、大変だ。

気が付けば、そんな状況の中でもキャッチャーは、常に声を出している。
アウトカウントを大声で全員に確認している。
打者が変わるごとに、打球が飛ぶかもしれないポジションに、打球が飛んだらどこへ投げて処理したらいいかを大声で指示している。
まったくストライクの入らないピッチャーに対して、コースはよかったとか、遠慮しないで投げていいとか、緊張を和らげる言葉をかけ、鼓舞している。

キャッチャーは、守備の要。司令塔。
この状況下でも彼は忠実に役割を果たしている。

彼を見ていて気がついた。
目の前でキャッチャーとしての役割を果たす彼は、リーダーである。
まさしく組織の中でのリーダーとしての役割を果たしている。組織を勝利へ導くために、過去のデータを分析し、想定しうるできごとに対し、その対応方法を大声で全員に確認している。
やり方が違うものには、修正方法を示し、士気が落ちてきた者は鼓舞、激励する。
会社組織のリーダーさえもが、そのやり方に苦悩することが多いその役割を高校生の彼は、当然のようにやっている。

何のために部活をするのかー

もしかしたら、何かの目的のためにやるものではないのかもしれない。

そう。自分が好きなことを一生懸命やることが部活。その一生懸命やった好きなことがその後の人生のもっと先まで楽しませてくれるのかもしれない。
一生懸命にその役割を続けているうちに、自分でも気づかない人としてのプラスアルファの魅力を身につけているのかもしれない。


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