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育種の楽しさとは、竿にかかる大魚を 待っ釣り人の心境・・・90年の生涯を品種開発にかける!                                                                                        

         

話し手  芦川孝三郎さん

   多摩川に近い東京の調布市に住む芦川孝三郎です。私は、1948年東京農工大学を卒業し、大学の付属農場で勤務して3年後に23歳で東京都農業試験場(現東京都 農林総合研究センター)の研究者となり、果樹の育種を行ってきました。

   当時の本業は、栽培技術の研究で、育種▾をするなど思ってもいませんでした。時間がかかるし、やるもんじゃないと思っていたんです。

   当時は、国(農林水産省)でたくさんの品種が育成されましたが、私はそれと 在来種との親和性▾を調べるために、在来種▾と交配▾を行っていました。そこで得られた種を播いたら面白い結果が出たので、小規模に交配を始めたことで育種が私の本業になってしまったんです。

 育種を始めるに当たっては、各地の研究者や篤農家▾の先輩を訪ねて勉強させてもらいました。ブドウでは、「巨峰✧」を育成した静岡県伊豆山の大井上理農学研究所の大井上康所長と、「ピオーネ」を育成した静岡県の井川秀雄氏を訪ね、ウメでは南高ウメを開発した和歌山県田辺市の南部高校の竹中勝太郎氏を訪ねました。

 試験場時代の育種では、ブドウでは種無しで大粒品種、ナシとカキ(甘ガキ)は早生の優良品種の育成が目標でした。

    ブドウでは「巨峰」の粒付きの悪い欠点を改良しようと、「巨峰」の実生120本ほどを養成し、そこから選抜*した系統の中にからほとんど種のない1本を発見し、「高尾」の名で1975年に品種登録▾を受けました。農林水産省に「高尾」を検定してもらったところ、「巨峰」より1本染色体が少ない75

高尾

本の染色体をもった珍しい異数体であることがわかりました。

 「高尾」は大変な人気で、福島、山形の両県で作られましたが「巨峰」のジベレリン処理▾技術が普及したことで減少し、今は山形県の一部と東京都で栽培されています。

 ブドウでは、「巨峰」を高品質の緑黄種にした「白峰」も育成し、カキでは同窓の土方智氏と共同で、早生の甘ガキ「東京御所」を育成しました。

 私は、育種をしていて苦労だと感じたことはありません。しかし、残念だったと後悔したことがあります。育種を始めた当初、果皮色、肉質、耐病性▾等の質的形質は環境の影響を受けにくく変化しないものの、果実の大きさ、形状、熟期▾等の量的形質は変化することを知りませんでした。そのため、優良系統なのに、小果だったものなどは捨ててしまっていたのです。量的形質は、たいていは良い方向に変化しますので、もったいなかったと思っています。

 1986年、東京都農業試験場長の職を最後に退職しました。自分でも驚いていることは、退職まで実に35年間、1度も転勤せずに果樹の育種に携わることができたことです。本当に、これまで東京都農業試験場で退職するまで1回も異動しなかったのは、私しかいないんですよ。時間がかかる育種の研究者として、同じ場所で研究を続けられたことは、誠に幸運だったと思っています。

 退職後も、私は自宅の畑で果樹の育種を続けました。自宅では、4倍体の白色品種のブドウと、ナシは早生の大果優良品種を作ることを目標にしました。

 これまでに、「白峰」の実生由来であるブドウの「多摩ゆたか」と、大きいものは1㎏を超える赤ナシの「本丸」を育成し、品種登録しました。

本丸

「本丸は」地元の農家用に開発したので、全て無償で配布し、稲城市と府中市で増殖▾中です。

 私は地元農協の農業相談員としても、90歳まで栽培技術と新品種の普及に携わりました。これまでの育種に対して、2019年に全国新品種育成者の会*から育種功労賞▾をいただきました。

 これまで15~20年をかけて1つの品種を育成してきましたが、最近はゲノム編集▾という革命的な育種法が開発されて短時間で目的の品種を得ることができるような時代になりました。素晴らしいことですが、なんだか味気ないように思います。従来のアナログ的手法、大海に舟を浮かべて釣り糸を垂らし悠々と大魚を狙う方式は、ロマンがあって楽しいもので、今後も続けてほしいと思っています。 

 92歳の私は、今もキウイフルーツとクリの品種改良を行っています。

 我が家の約20アールの圃場は、東京都の生産緑地▾になっています。宅地に比べて税金が安いのですが、生産緑地では生産物を販売する必要があります。私は、販売をしない代わりに登録品種を出すことで税務署の了解を取ってるんです。ですから、まだ育種に頑張らなくてはいけないんですよ。

 育種の楽しさ?それは、どんな結果が出るか全くわからないので、あれこれと想像することです。果樹は、初結実してから良い方向へ変化する系統が必ず見られるので、特に楽しいですね。

 長年育種をしてきたのに誇れることはあまりありませんが、一つは「高尾」が地元のブドウの主品種となり、高尾ブドウ生産組合が朝日農業賞▾を受賞したこと、またナシの「本丸」が地元で増殖され、店頭に並ぶようになってきたこと、更に「高尾」が練馬区の東京ワイナリーで高尾ワインとして生産されていることですかね。             

高尾ワイン

 長い年月のかかる育種ですが、年月が経てば必ず結果が出るので、やきもきする必要はありません。育種には、必ず運・不運が伴いますが、幸運は地道な努力を続けた人に対する神様からの褒美だと思います。

 元気だと言われますが、今は足がダメになってやっと歩いているような状態です。食事は、毎朝必ず果物と野菜とヨーグルトを摂るようにしています。まだ、キウイフルーツとクリの育種を続けていますが、目標をもって生きるのが元気の秘訣かもしれません。

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  #東京御所   #多摩ゆたか   #1kgを超える赤ナシ   #本丸
  #東京の生産緑地   #ゲノム編集    #高尾ワイン   
  #キウイフルーツ   #くり


            《 用語説明 》  
 育種家の体験のため、普通の方にはなじみのない育種用語等がでてきます。▾印をつけた用語の説明を載せさせていただきます。
 
▾育種: 生物の持つ遺伝的性質を利用して、利用価値の高い作物や家畜の
  新種を人為的に作り出したり、改良したりすること。品種育成、品種改
  良。
▾在来種: ある地域に古くから栽培され、その地域の気象風土に適合した
  生物種やその系統。
▾親和性: 結びつきやすい性質。相性の良さ。後代での種子稔性(種子の
  できやすさ)で判定する。
▾交配: 次世代を得るため、生物の2個体間で受粉及び受精を行うこと。特
  に繁殖や育種などのために人為的に行うこと。
▾篤農家: 熱心な栽培研究に裏付けを持つ、その地域や作物分野を代表す
  る農家。
▾巨峰: 品種名は「石原センテニアル」。「巨峰」という名称は、特許庁
  が承認した商標名(商品名称)。 
▾選抜: 多数の中から目的に合った有用なものを選びぬくこと。交配して
  発生した個体など育種をする過程で生じた多数の植物体の中から、既存
  の品種と特性の異なる有用なものを選び、その特性を遺伝的に固定化し
  たものが新品種となる。
▾品種登録: 苦労して農作のつの新品種を育成した者に、その生産、加
  工、販売を独占できる権利である育成者権を与え、その権利を一定期間
  保護する制度。この制度は関係国がそれぞれの法律に沿って実施してお
  り、日本では種苗法に基づいて申請のあった品種について、農林水産省
  が審査し、新品種として認められた品種を登録している。
▾染色体:  生物の細胞の核の中にあるひも状の構造体でDNAとタンパク質
  から成る。親から子へ受け継がれる遺伝情報の発現と伝達を担ってい
  る。
▾ジベレリン処理: 種なしぶどうを作るために植物ホルモンであるジベレ
  リンを使った処理。果実は、受粉によって子房の種子ができ、その子房
  が膨らんで果実ができるが、ブドウは受粉しなくても房をジベレリン液
  に浸すことで実を作ることができる。その結果、受粉していないので種
  なしブドウができる。
▾耐病性: 農作物の病気に対する抵抗性。同じ種類の農作物でも、品種に
  よって強さが異なる。
▾熟期: その植物が成熟する時期。品種によって異なり、その時期により
  早生、中生、晩生等に分けられる。
▾増殖: ふえること、またふやすこと。生物学で、細胞や固体の数が増える
  こと。
▾全国新品種育成者の会:  試験場や種苗会社に属さない農家などの個人の
  育成者が集まる会。1987年設立。60人程の会員が参加し、育種技
  術の勉強、優良な育種家等による講演会、優秀な育種家の表彰、機関紙
  の発行などを行っている。
▾育種功労賞: 全国新品種育成者の会が毎年行っている優秀育種家表彰の一
  つの賞。育種賞と育種功労賞の二つの賞がある。
▾ゲノム編集: 生物が持つゲノム(ある生物種を規定する遺伝情報の全
  体)の中の特定の塩基配列(DNA配列)を狙って変化させる技術。
▾生産緑地: 都市計画法によって指定された市街化区域の農地。生産緑地
  の指定を受けることで、固定資産税や相続税等が優遇される。一方で、
  生産緑地内では建物の建設や売却の行為が制限されるとともに、一定期
  間農業経営を続けることが義務付けられる。
 
 この文章に書いた話し手等の登場人物は本名、地域名等の固有名称は全て実在する名称を使用していて、内容は育種家本人から聞いて、聞き手の私が本人の話し言葉で書いています。今回紹介した芦川孝三郎さんは、90歳を過ぎても育種に取り組まれ、育種一筋の人生を歩まれましたが、2022年12月に94歳でお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 私は、農林水産省で品種登録の仕事をしていたことから、退職後に全国新品種育成者の会の事務局させていただきました。そのため、今後もこのnoteで会員の育種体験の聞き書き作品を掲載させていただきます。全国新品種育成者の会は、農家などの個人育種家の正会員、会に協賛する種苗会社などの法人賛助会員とその他の準会員が加入しています。会では、日本で育成されたブドウなどの海外流失事件のような侵害事件も発生する等育成者にとって厳しい状況にある中、育種家の高齢化が進んでおり、このような中で育種家の皆さんが安心して育種に専念できる環境を作り、育種の振興と保護に努めています。主な活動としては、育種関係者等による講演会、育種機関等の訪問研修、優良育種家の表彰、種苗や品種登録制度等に関する相談、機関誌の発行やSNSなどを使った情報提供などです。会の趣旨に賛同して協力していただける方がいれば、是非とも加入されますようお願いいたします。全国新品種育成者の会の詳細は、ホームページ(https://www.j-pba.com)をご覧ください。 
                    ◧ 聞き手、作文:岩澤弘道


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