『私』という人間について。(学生時代編)

なんとなく、自分自身どんなことをしてきたのか、
ふと振り返ってみたくなったので書いてみました。


<中学生時代>

中学生までは、毎日遊んでいるような子供
学校には通っていたが、家で勉強する習慣はなく、
毎日、家でテレビゲームか、外でサッカー等していた。

案の定、中学3年の時、担任から
『このままじゃ、高校に進学すること出来ないぞ』と言われる。

当時の自分は、特に何とも思っていなかったが、
流石に親に呆れられ、片親ながら、私に家庭教師をつけてくれた。
何人かは、私と反りが会わず、私の方から拒否。
三人目位の先生が私の性格と合致して、そこから数年担当してもらった。

その先生は、当時大学生でバンドマンだった。
言葉は悪いかもしれないけど、勉強が出来ると言うよりも機転がよく効くし、二人で勉強の合間に雑談したり、お菓子食べていたりしてた。
また、要らなくなったギターを貰ったりもした。

今となっては、子供二人を片親でよく育てたなぁ(私は出来損ない)としみじみ思う。

<高校時代>

そんなこんながあり、また、親から進学したらコンピューターを買い与えてやると言う餌を吊り下げられながら、何とか高校に進学することが出来た。
と言っても、住んでいる地域で1、2を争うほどの偏差値の低い学校だった。

昔で言う『ヤンキー校』をイメージしてもらえれば、分かりやすいと思う。

流石に漫画やドラマの様な荒れ狂っていた訳ではなく、私が通っていたときは、大人しくなっていた様だった。

それでも、やはり上級生にはがたいがいい人、反りが入っている人なんかが普通にいるところだった。

そこで私と言えば、流石にこのままだとまずいかなぁと思い、暗記型の勉強をしてみたところ、さすが偏差値が低い学校だけにすぐに成績が上がると言う不可思議な事が起きる。

また、商業系だったのもあり、簿記や算盤なんかもやらされて、大変なはずなのに少しだけ興味を持った記憶がある。

元々商業系のクラスに入学したのに1年の終わりに(名ばかりの)進学クラスがあり、そちら側に次年度から編入を果たす。

その頃辺りは、一年生の時からの持ち上がりクラスへの編入と言うこともあり、クラスメイトとはあまり馴染まず、淡々と日々をおくる生活をしていた。
(高校2年生、3年生の想い出は特になかった)

進学クラスと言うこともあり、ほとんどのクラスメイトはその学校の大学への進学が決まっていた。
自分と言えば、他の人が進学する大学には興味を持てず、高校入学と同時に購入してもらったコンピューターにのめり込んでいた事もあり、情報処理関連の専門学校に行きたいと言う気持ちがあった。

その学校は、住んでいる地域でもかなり手厚く情報処理系の資格対策や授業を行っていたので、それなりに厳しいとの噂があった。

その時期と同時期位にアルバイトを始める。
いわゆる、ファストフード関係の仕事だった。

その噂を気にもせず、私はその学校へ進学していった。

<専門学校時代>

進学前から継続してやっていたアルバイトがかなり忙しく、
入学直前まで仕事終了時刻が深夜を回ることが多くなった。

多分、それを言い訳に学業よりもアルバイトを優先した生活をおくる。
また、噂があった内容については、尾びれはひれ付いたものだとたかをくくっていたが噂以上のハードな状況だった。

一年生の時から既に落ちこぼれつつ、何とかアルバイトとの両立を保っていたが、ついに三年生の春、ある決断をする。

『退学』

である。

その頃、自身の意思の弱さやアルバイト先から頼られている状況に飲まれており、最終的な判断として、アルバイトを選んでしまった。

向こう見ずの性格は昔からだけど、流石にこれには身内からはかなり非難された。
それはそうだろうなぁと今なら理解できるし、その事自体を今更後悔しても仕方ない。
自分でそうしたいと望んで進んだのだから。