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ナムジュンおめでとう

ナムジュン、29歳のお誕生日おめでとう!

こんにちは.
20代最後の誕生日ですね。
誕生日というのは私の職業的特性のせいか分かりませんが、いつもちょっとした恥ずかしさを伴いますね。 自ら大したことない日だと思うけど.. 多くの方々が心から祝ってくださって本当に幸せで幸せです。
愛は誰かに名前がつくものだとよく思います。 キム·ナムジュンが「キム·ナムジュン」になるまで。 ただ、たくさんの365日の中の一日でしょうが、29歳の自分自身にとっても誕生日がただすれ違う日にならなかったのはすべて皆さんのおかげです。

できるだけ素直になれる人でありたいのですが、ファンと歌手という無形とタイプの間の存在は果たして何を超えて何にまでなれるのでしょうか。 愛という親切な幽霊の下で、すべてが容認できるでしょうか? むき出しが弱点になり、素直さが傷つく経験を今もかなり経験していますが、まだよくわかりません。
前に行くほど話すのが難しくなって悲しいと言いました。 その事実は相変わらずのようです。 それでも私はかなり淡々としています。 一生一度受けてみようかという真心を大雨のように受けてみたせいで、厭世と虚無を素敵だと思ってきた私が気質的に楽天的な人だということにも気づきました。 これ奇跡じゃないですか。 私は最近「ワイナット」をつけて暮らしています。 周りでも私が受けた愛と解釈された楽天城を分かち合いながら暮らしています。
そして、いつか出る僕の次の曲にも ぎゅうぎゅう詰め込んでいます。

そうですね。ただ私が音楽よりもっと美しい方法で正直になれるでしょうか? 皆知っている事実ですが、たまにはそれだけでは足りないようです。 それで私がBTSになったのかなと思います。 様々な方法で解決したくて。 番組であれ、インタビューであれ、ダンスであれ、何であれ···.. なんて恵まれた人生でしょう。 そして、これらがいつも私がどこに来ているのか、両目でまっすぐ見て考えたくなります。
偶然が重なれば必然だと言いました。 偶然は偶然を装った運命とも言われ。 私が今あなたにこの手紙を差し上げるのもそうだと思います。 私はどんなバージョンの私でも、この手紙を2023年9月に書いていたような気分。 毎度私の誕生日の手紙は私が今到達した所の、それぞれ違う愛の言語なんですよ。 皆さんのおかげで、 僕は本当に元気に過ごしています。 豊かに暮らしたいです。 ただ毎回、私の最新バージョンで 愛してると伝えたかったんです。 一人一人を抱きしめることはできませんが、心はそれ以上です。 私がどんな姿であっても愛してくれとは言いません。 ただ、もらった分だけ私も一度頑張ってみようと思います。

20代の最後の誕生日もこのように無事に過ぎていきます。 どんな空の下にいても、どうか元気で末永く幸せになりましょう。 時間が少し経ってからまた会いましょう。
あなたの誕生日も前もって、あるいは少し遅れましたが、本当におめでとうございます!
どうも。

ナムジュン

「ファンと歌手」という関係だけど、人間から人間に伝えようとする誠実な気持ちが伝わってくる。

ただ私が音楽よりもっと美しい方法で正直になれるでしょうか? 皆知っている事実ですが、たまにはそれだけでは足りないようです。 それで私がBTSになったのかなと思います。
詩人や作家になりたかったともいっていたけど、BTSになってくれてありがとう。リーダーでいてくれてありがとう。

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