見出し画像

忘れられない看護師さんの言葉

『お父さん、お母さんの思いが沢山こもっているね』

30年ほどたった今でも、心がじーんと温かくなる。今でもふと思い出す言葉がある。

はじめての献血

中学生の頃かなと思ったけど、年齢で確認すると高校生頃になるのかな。はじめて、献血をした。スーパーの駐車場にとまったバスの献血。どういうきっかけだったか忘れたけどはじめて献血をした。


忘れられない看護師さん言葉

右腕の服をまくった。
「左腕もみせて」って言葉にどきっとした。私は、腕全体にヤケド跡がある。しぶしぶ左腕の服あげると「あらっ」っと看護師さん(当時は看護婦さん)。そのあと、ヤケド跡の説明でもしたのかな? 他何か言われたか覚えてないけど、『この手はお父さん、お母さんの思いが沢山こもっているね』『愛情たっぷりだ』って言葉がずっと心に残っている。あの時のバスの中の映像も、今も鮮明に覚えている。

ヤケド跡に対する思い

生後7ヶ月、お湯がはいったポットに手をかけて腕全体をヤケドした。小学生の頃の思いでは、嫌だな。恥ずかしいなという思いは少しはあったけど、それでイジメられたということもなく。そういうものだと思って普通に半袖をきてた。中学生頃になって、なるべくなら隠したいという思いがでてきたのは覚えている。

両親のケンカ

よく父と母は小さな頃から私の腕についてケンカしてた。ありのままを受け入れてくれてる母と、女の子だから少しでも綺麗にしたい、それが親の責任だという父。小学5年生で皮膚移植するも失敗し、26歳の再手術までケンカし続けてた。


両親への気持ちの変化

両親がケンカする姿は本当に嫌だった。しかも自分のことでケンカする。今でも嫌な思い出として残っている。少しでも綺麗にと、愛知の病院、大阪や東京、神奈川色んなところに連れて行ってもらった。私の意志も関係なく。ケンカは嫌だったので、ほっといて欲しかった。
でもその当時の看護婦さんの言葉のおかげで、私の両親への思いは変わった。私への心配からのケンカだったと。私の傷跡をなんとかしようと、必死に調べてくれてたんだと。母からも何度か、申し訳ないと言われた記憶がある。
『お父さん、お母さんの思いが沢山こもっているね』
沢山沢山、私にかけた想いがあったんだ。この腕は、こんなにも温かい思いがこもってるんだって。

26歳まで、父は色々調べてくれて
私はもういいよって伝えたけど
父はやりきりたい思いがあるのかなって。手術も受けた。20歳過ぎても心配してしてくれる親。それから、私のヤケドについて喧嘩することはなくなった。


時々この看護婦さんのこの温かい言葉を思い出す。


今日の朝活のテーマ
「幼い頃の思い出」で思い出した。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?