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映画「クロース」レビュー

13歳のレオ(エデン・ダンブリン)とレミ(グスタフ・ドゥ・ワール)の親密さは親友を超えて、兄弟のようであり周囲からはあなたたち付き合ってるの?と言われるほど、しかしその親密さは微妙に崩れその先には悲劇が待っていた、、、

ネタバレ有りのレビューします。

静謐な美しい映像で男の子二人の親密さが冒頭から描かれます。年齢的にはもはや子供的あどけなさは過ぎ、儚くも危ういものを感じる親密さの描写に引き込まれます。二人のちょっとした表情や仕草を見逃すまいと全集中してしまうような精密な映像と音響。
主人公の男の子はレオ、演じるているエデン・ダンブリンは街中でスカウトされたとのことですが、この子の澄んだ大きな目とか憂いを帯びた口元が圧倒的でよく見つけてきたなと、、、この子の存在がこの映画の魅力の大きな部分を占めるでしょう。

レオという名前から、トリュフォーの「大人は判ってくれない」などの名優ジャン=ピエール・レオを連想しました。「大人は判ってくれない」は12歳の男の子のストーリーであり表情がちょっと似ているかも、、、
ただ「大人は判ってくれない」の方は”大人の世界vs子供の世界”という構図が明確であり、盗みを働く子供=自由な存在に対し、大人の世界はいやらしく、監視的で教育的に描かれます。この”子供vs大人”図式がヌーヴェルヴァーグとしての映画のエネルギーを放っていましたが、本作「クロース」はもっと淡々としています。そもそも現代において”子供vs大人”という図式はリアリティを持ちえず、「クロース」の世界では子供も大人も等しく悩み苦しんでいます。
対立とか反逆というよりは、子供も大人も互いになんとかコミュニケーションをしようともがき苦しんでいるのです。
本作の監督ルーカス・ドンはトリュフォーへのリスペクトを感じさせつつも、そこからの現代的主題へのアップデートを企図しているように思えます。象徴的なのが「大人は判ってくれない」では、主人公のアントワーヌ・ドワネルが牛乳を盗み投げ捨てるのに対し、「クロース」のレオ少年は母親に朝食を食べなさいと言われるも拒否し、でも牛乳はキチンの飲みほす。この辺りにルーカス・ドン監督が、「大人は判ってくれない」の時代とは違う現代なりの主題に向き合おうという決意を感じます。

本作の主人公は紛れもなくレオ少年ですが、観客は誰に感情移入するでしょうか?人ぞれぞれだと思いますが、僕は登場人物誰に対しても感情移入できるなあと思いました。
レミと付き合っている?と周囲に突っ込まれてレミと距離を置くレオの弱さもわかる、一方純粋な気持ちからレオに裏切りを感じて衝動的な行動をしてしまうレミの気持ちもわかる、レミの死の遠因をレオに感じ取り彼に対し車から降りて!と思わず口にしてしまうレミの母の辛さも。登場人物誰もが自分の中に存在するよなあと思わせます。さらに言えば、レミと付き合ってる?などと揶揄ったクラスメイト達のような人格も自分の中にいることは否定できない。

交流分析では一人の人格の中に5つの自我があると説明します。人によってどの自我が強く出るのかはまちまちですが、複数の自我がせめぎ合って一人の人格が構成されているんですね。

この映画が良かったのは登場人物それぞれが辛さとか相手への気遣いとか優しさとか場合によっては悪意なども抱えている、単純に誰が悪いとか良いとかは言えない、そしてそれぞれの人格は観客の誰もがちょっとは持っているということがリアルに迫ってくる感覚でしょうか。
この映画にはかつてヌーヴェルヴァーグが持っていた叛逆のエネルギーは感じられませんが、現代の複雑な心の状態を美しい映像ととともに見事に描いていると言えましょう

ではでは

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