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レザレクションズを観る前に、マトリックスの世界についてあれこれ考えてみた。


新作が出るらしいので僕もちょうどこの正月を機に過去作3つおさらいしようと思っていたところだった。


マシンやAIが意識や意志を持ち人類に反乱を起こすと言うシチュエーションはターミネーターでもそうだった。

映画の世界において、ロボットや人工知能あるいは疑似生命体が自分の存在に苦悩し、地球を汚す人類を厄介ものと判断し抹消しようとし、場合によっては理由さえ最後まで明かされないままその創造主に対し反発・反乱を起こすような事はハリウッドでは割と日常茶飯事なのだ。

その原点として伝統的にはフリッツ・ラング監督のメトロポリスに遡る事もできるが、今回は割と最近の映画に焦点を絞ってみよう。

自らが意識や意志を持つ進化した機械。またはもともと人間の脳だったものが事故や様々な理由でその肉体を失い、他者による善意・思惑、あるいは自らの意思で電子回路や人工の脳にその意識をコピーされている状態。人と物の間にある存在である。

近年センサー技術や画像解析の技術が進み、コンピューターは目や耳を持つようになった。機械学習のアルゴリズムがデータを素早く蓄積・解析できるようになりその分野への期待やさらなる応用への関心が高まってきた背景もある。だからといってすぐさま意識を持ったコンピューターが現れるとは思えないのだけれど、コンピューターやプログラミング側のアプローチ以外にも現代のサイエンス・医学・アンチエイジング・高齢化社会・子供の発育の研究者達の関心は今まさに人の脳に向かっている。人が生まれ、知能を持ち、やがてそれが知性へと発展し、やがて衰え、消滅ていくプロセスに、科学者のみならず文学者・表現者・哲学者・宗教家さえもが関心を払わざるを得ない時代にあるのだ。

主人公たちは映画の中で、人工の意識やこころを持ち人類を抹殺しようとするマシンから自分や家族を守ろうとし、「造ってしまった」事を後悔し、戸惑い、あるいは「造られてしまった」ことに、苦悩し、葛藤する。

苦悩や混乱の表現の中から、生命に対する尊厳・格差社会の矛盾・マイノリティの叫びを感じることがある。

あるいは全く逆に、人の脳が機械の体を得て、脳自体も電子回路の中に移植され、無限の寿命と知識とネットワークを得たとき、発現する絶望感・恐怖・孤独感・残虐性・凶暴性・無慈悲さ・狂気を目の当たりにすると、根源的に我々誰もに内在する負の側面に改めて向き合う事になり、そういうものを生み出してしまう事を止めることのできない人類のサガというか、哀しさを感じる事もある。

サイエンスフィクションやサイファイをオカルト・カルトの類いと一笑する人もいるし、実際そういう作品もないわけではないが、優れた作品がエンタメでありながら人類の根源的・社会的問題を包括・暗示し警鐘を鳴らすこともあるのだ。

古典的には2001年宇宙の旅の宇宙船をコントロールするコンピューターharu9000の反乱(※注1)、ブレードランナーのレプリカントなどなど。ターミネーターより前に作られた銀河鉄道999の機械男爵もそうかもしれない。

ビルゲイツがシンギュラリティーに言及した事も影響したのだろうか?近年こういったテーマの映画がたくさん作られた。

アイロボット・A.I.・EVA(ハリウッドではない)・チャッピー・トランセンデンス・アイランド・レプリカズ,,,,,挙げればキリがない。

アトムが来るかターミネーターが来るかは別としてシンギュラリティは避けられないだろうというのが個人的見解だ。

チャップリンのモダンタイムスの時代より新たなテクノロジーがこの世に出るたびに人々はその利便性・快適性・革新性を歓迎すると同時に、警戒し、場合によっては敵視もしてきた。

「そんなにナーバスになる事はないよ。新しいテクノロジーはきっと人類に明るい未来をもたらすよ。」

甘い言葉とはウラハラに、雇用の機会を奪われ、或いはシステムの一部としてこき使われる哀れな人類の姿をチャップリンは滑稽に描いたのだ。


日本の場合、鉄腕アトムと言う手塚治虫原作の漫画やアニメがあり、なぜかものづくり系の人やロボットに関わる人たちがこれをとても崇拝している。

ロボットは友達、パートナーと言う位置づけである。ドラえもんも然りである。キリスト教圏とは文化的な違いがあるのかもしれない。

果たしてわが国は世界の中でこの路線で、この分野におけるプラットホームを優位に獲得・展開できるのだろうか?

それはともかくとして、映画に表現される人工の身体や心は、ディズニーのベイマックスなど除いて扱いが欧米ではむしろ逆。日本の自動車産業がアメリカの古き良き時代の大手の自動車メーカーをオートメーション化で凌駕していった時代、デトロイトをはじめとする自動車産業を中心に栄えていた街が力を失っていった。そのデトロイトを舞台にロボットが暴走し人々をマシンガンでなぎ倒していく様を描いた映画ロボコップに出てくる世界はまさにその時代の恐怖を描いているような気がする。

それでもこの時代はまだよかった。大量消費•大量生産の時代は豊かなものづくり時代。人々の仕事は整理され、余暇を産み、様々なサービス産業・情報産業を生み出し、やがてインターネットの時代になって人々の新たな雇用の畑を生み出したのだ。

ところがロボットやAIが生み出す最適化・効率化の時代はどうだろう?ただただ人の仕事をなくし、マシンやプログラムに置き換えていく。それもものすごいスピードで。検索すれば将来なくなるであろう職業がヒットする。えー?こんな職業まで?

今度はITとAI ・効率化と最適化に出遅れた日本が恐怖を感じる時代となってしまった。

これは日本に限らず世界的な課題だ。

いったいこのプロセスはどこまで進行するのであろう。こんな潜在的な恐怖をどこかで感じながら人々はターミネーターやマトリックスをSci-fi・サイエンスフィクションあるいはファンタジーとして見ているのだ。果たしてこれは遠い未来のファンタジーなのか?

仕事は格段に少なくなる。格差が進み職を得られるものと得られないものが分かれる。資本主義が揺らぎ始める。ベーシックインカムと言う話まで出てくる。しかしその実現の保証は無い。

将来への不確かな時代の不安に輪をかけるように、サイエンスの世界でも最近の物理学ではこの世そのものが現実ではなくプロジェクターに映し出された映像のような仮想のものであると言う説さえあからさまに公言される時代となった。

マトリックス過去作3つ楽しみながら考えた。

遺伝子操作や核などのテクノロジーは人々に本能的な恐怖を与える。なので言葉は悪いかも知れないが映像的には怖がらせる映像は作りやすいのではないか?

一方で、AIや電脳世界への懐疑を描く時は?知らない間に便利だ、かわいい、人件費を節約できるなどの理由で割と抵抗なく取り入れられているので、確信に触れるには前提が必要となる。

ルネサンス以降のキリスト教圏では、人の位置付けがすでにある程度共通の概念として存在しているとはいえ、表現者にとっての課題や懐疑的な問題点は、受け手にとっては比較的抽象的で、その手前で前提となる知識やテクノロジーへの理解を受け止めるプロセスが必要となる。この作品群を難解足らしめているのはこのような原因があるのかもしれない。

多くのSF作品がそうであるように、かと言って、技術的な事に関しては映画の中ではサラッととしか触れられてはいない。あくまでエンタメであり、論文でもないのでそこに力を入れすぎれば逆に陳腐で冗長な印象を与えてしまうだろう。

これを回避しているのは、実はヒッチコックの時代から受け継がれている伝統的な手法かと思う。最先端の映像も、実は古典的な手法を踏襲して組み立てられているのだ。

設定やストーリーを曖昧にしたまま、観客を好奇心や不安やらスリルの中に置き、次のシーンへ切り替わるタイミングや時間の長さを緻密に計算して、あらかじめ用意した世界観の中にどっぷりと聴衆を漬け込んでしまうというやり方である。

最近の映画やドラマではハリウッドに限らず、またジャンルを問わず多かれ少なかれこのやり方を取り入れているかと思う。

例えればキリはないが、古典的で代表的なものとしてあえて例にあげるとすればSFで言えばアーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」や渡辺謙とレオナルド・デカプリオが共演した「インセプション」などが色濃くそれを打ち出しているかと思う。「猿の惑星」のように「オチありき」な作品とは趣を異にする。

かのミステリーの巨匠ヒッチコックも「テーマよりディテールが大事。観客を喜ばせる(怖がらせる)事が大事」と言っている。

マトリックスの場合、テーマもハッキリしていて、ディテールも映像美やモーション、主人公のヒーロー、ヒロイン、脇役、敵役のキャラ設定など含めて完璧。テーマとディテールのバランスが良くて、よく理解できていなくても悪夢のようなストーリーにぐいぐい引き込まれていく。

それでも難解なのは前述の理由の他にさらに電脳世界と現実世界の入れ子関係。僕の脳はついていけなくて悲鳴をあげることも何箇所であった。しかしそれさえもある意味「麻痺」を起こさせて、この世界観にどっぷり漬け込むための表現者側の意図なのかも知れない。

さて、レザレクションズではどうやって攻めてくるのかな?楽しみ^_^


※注1 HAL 9000 はこの物語の中で「自らの意志を持って」人類を滅ぼそうとしたり、反乱を企てたわけではなく、モノリスを送り込んだ張本人、すなわち原作アーサー・ C ・クラーク氏の別作品「幼年期の終わり」に現れるオーバーロード的な存在によって、ある目的を持って乗っ取られたのだと自分自身では解釈している。「地球が静止する日」に現れる巨大ロボットや、全てを食い尽くし粉々に分解してしまうナノロボットに近い存在なのだろう。


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