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19歳のカレン・カーペンターを11歳の耳で聴いて思ったこと

ちょうど40年前の1983年2月4日はカレン・カーペンターが32歳で突然この世を去った日であります。バート・バカラックの記事を書くにあたりカーペンターズのアルバムを聴き直すことになり、(多分)人生でアーティストのアルバムを1枚最初から最後までちゃんと聴く初めての体験となったのがカーペンターズの1stアルバム「涙の乗車券」(原題:「Offering」、当時の日本盤タイトルは「遙かなる影/カーペンターズ・デビュー」)についてごくごく個人的な視点で書いてみたいと思います。

自分が小学4年生か5年生の頃、以前も書いた父親が家で聴いていたポール・モーリアらのイージーリスニング趣味がクインシー・ジョーンズやCTIレーベル、そしてマイルス・デイヴィスやハーヴィー・ハンコックなどのジャズやクロス・オーバー系に変化していきましたが、一方で父のオーディオにはFMチューナーとカセットデッキも装備され、当時2局しかなかったFMラジオ局(NHK-FMと東京FM、当時、私の家族が住んでいた地元局は系列のFM大阪でした)でオンエアされた洋楽ポップスの番組を録音されたカセットテープがたくさん量産?されました。1970年代初めにはその「FM雑誌」というものが発売されておりその週に放送される番組にどんな曲が放送されるかが詳細に掲載されていました。父も凝り性だったのか「FM雑誌」を購読し放送されているポップスやクラッシックの番組を片っ端から録音したようです。今思えば「かなり面倒な手順」ですが当時はFM放送から録音することが最も良い音質でいろんな音楽を楽しめる方法とされており、これを「エアチェック」と言っていました。父も自分の好きなジャズ系のレコードは購入していましたが、ちょっと聴いてみたいぐらいのレコードは買わずにエアチェックしていたようで、母が好きなミッシェル・ポルナレフやサイモン&ガーファンクルなども番組を調べてエアチェックしていたようです。天地真理や麻丘めぐみなどの歌謡曲のテープも少しありました。まだレンタルレコードなんて影も形も無い1970年代初め頃の話です(笑)。

当時の状況説明が長くなりましたが「涙の乗車券」はそんな父がエアチェックしたカセットテープに中にあった一本です。カーペンターズの存在は何で知ったのかはっきりと憶えていませんが1972年の初来日の頃だったのでしょうか。家で流していたFM局の放送でもカーペンターズの曲はたくさん流れていたし、ネットで調べると初来日公演はNHKテレビで中継したようでその時のライブ音源もストリーミングサイトで確認することが出来ます。しかしながら子供だった自分が最初にカーペンターズの曲を認識したのは「シング」の記憶なのです。「シング」は翌年1973年リリースの「ナウ・アンド・ゼン」で収録されるので記憶が錯綜している可能性もありますが11歳の少年の耳には「シング」は「この曲は世界で一番いい曲に違いない」と思わせる衝撃的な何かがありました。カーペンターズについてとても知りたい衝動に駆られたのです。

父が作っていたカーペンターズのカセットテープは2種類ありました。一つは
「愛のプレリュード」「遙かなる影」「トップ・オブ・ザ・ワールド」「雨の日と月曜日は」「ふたりの誓い」「スーパースター」といった曲が収められていました。今思えばその時点でのカーペンターズのベスト選曲とも言える内容でした。当時のFM番組をそのままエアチェックしたものなので曲名も当時の邦題そのままで貼り付けておりました。どの曲もいい曲ばかりだなとおもいましたがお目当ての「シング」は入っていませんでした。もう一本のカセットテープは「カーペンターズ」と書いていながらまるでお経のような声で始まる不思議な合唱曲が収められていました。お経のような合唱曲はよく聴くとカーペンターズの女性の人の声だということは分かりました。それがカーペンターズのデビュー・アルバム「涙の乗車券」だったのです。

  1. 「祈り」(原題:Invocation)お経のようなわずか1分足らずの合唱曲ですが長調とも短調とも言えない不思議なメロディは子供心にとても不安になりました。しかし不思議なコーラスの「濁った音」に最初からとても惹かれた記憶があります。

2.「ワンダフル・パレード」(原題:Your Wonderful Parade)
一番最初に気に入ったカーペンターズのナンバーです。曲の前にある40秒ほどの演説が退屈なのでいつもカセットで早回しして聴いていました。「Over streets that pass the houses ~」の宙に浮くようなメロディと2番から入ってくるグチャッとした(ここでも濁った)コーラス、サビのカレンとリチャードの重なったコーラスのサウンド、子供の時はこの音がコーラスであったことも分かっていなかったかもしれませんが、この濁った音の壁のようなものがとても心地よいと思ったものでした。

3.「いつの日か愛に」(原題:Someday)
最初の難関箇所です。11際の子供にはこの5分19秒の曲は長すぎました。最初の頃は退屈すぎてよく早回しして飛ばしていましたがいつの日かカレン・カーペンターが一人で歌う声が美しいと感じるようになりました。今となっては壮大なオーケストレーションをバックにカレンが一人で素晴らしい歌声を聴かせるアルバム最大の目玉曲と認識しています。それにしてもこんな壮大な楽曲をデビューアルバムで作ってしまうリチャード・カーペンターの作編曲能力に脱帽です。今聴いても最終コーラスでカレンの歌を追いかけるオーケストラやオーボエが学校の音楽の時間で習ったカノン形式だと気がついたこと、曲の終盤になって聞こえるホルンの音に、当時好きだったテレビアニメ「海のトリトン」で使われる音楽と同じ景色のようなものを感じていたことを思い出します。(海のトリトンの劇伴がまた特殊なものであったことは後で判明しましたがまた別の機会に)

4.「ゲット・トゥゲザー」(原題:Get Together)
長い前曲が終わって一息つく意味でも力の抜けた曲でエフェクトをかけたリチャードのフニャフニャしたヴォーカルが子供心にツボでした。今思うとレスリースピーカーのフェイジング/フランジング効果の初体験ですね。英語も当然分からないころなので「ゲット!トゥゲザー!」というタイトルのリズム感が好きでした。

5.「私のすべてをあなたに」(原題:All of My Life)
この3拍子系のバラード曲はリチャード・カーペンターのお気に入りだったみたいでカーペンターズが90年代にリリースした初期のデモ音源などを収録した初のCDボックス・セットにも収められていました。音楽業界の就職して大人買いで購入した記憶があります。カレンらしいバラードですが子供の頃はちょっと不満でした。初めは良いメロディなのにそれが解決しないまま終わったしまったように感じたからです。大人になればそれはバート・バカラック的な手法を引用したものだと理解出来ますが。。。

6.「ターン・アウェイ」(原題:Turn Away)
子供心にちょっと退屈だった旧レコードA面のラストのリチャードのヴォーカル曲。思わせぶりなピアノやハープシコードのイントロと平歌のパートとサビが全然違う曲調でガラッと変わるのはなんとなくA面が終わるんだなあと思っていました。カセットテープはここで一旦終わり、女性アナウンサーの声でこれまでの放送した曲とこれからかける曲を紹介されていました。このnoteでも当時の邦題をわざわざ入れているのはそのためで、各曲を読み上げる女子アナウンサーの落ち着いた声を今でも思い出すことが出来ます。そして当時の日本初回盤LPはB面の頭に「遥かなる影」が入っていてそれをそのまま放送しています。

7.「遙かなる影」原題:(They Long to Be) Close to You)
カーペンターズ最初のナンバーワンヒット曲です。当時はモノラルのカセットプレイヤーで聴いてもこの曲だけ抜群に音がいい、カーペンターズの音がしていると思いました。録音年月日が違うのですから当たり前のことなのですが後からこの曲だけ追加されたという事情を知らない11歳の子供の耳にはこの曲でのカレン・カーペンターのヴォーカルはとても耳元に生々しく伝わってきたことをはっきりと記憶しています。また重層的なコーラスなコーラスや楽器の音のレイアウトにもカーペンターズは他のアーティストと何かが違うとすでに感じていたようです。当時の「遙かなる影」は最初のフェイドアウト〜3分50秒あたり〜でちゃんとフェードアウトしていました。現在ストリーミングなどで配信されているアルバム「涙の乗車券」には「遙かなる影」は収められていません。

8.「涙の乗車券」(原題:Ticket to Ride)
前曲「遙かなる影」から続けて聴くと子供の耳でも録音のナロウさ、ダイナミックレンジの狭さがはっきり分かりました。特にカレンの歌が入ってくると如実に感じたものでこの曲はデビュー・アルバムだからまだカレンの声は幼く聞こえるのかなと勝手に妄想したりしていましたが、「遙かなる影」と「涙の乗車券」の録音年月日はおそらく1年も違わないはずですが録音技術や機材の急速な変化を捉えていた子供の耳は手間味噌ではありますが中々馬鹿に出来ないものです。「涙の乗車券」については後から原曲のビートルズ版を聴いたのですがアレンジやテンポ、響きの違いにとても驚いたものです。そして「And he don’t care~」のMajor7thの響き、濁ったように、また遠くに連れて行ってしまうようにも聴こえる音がここに登場したことをとてもよく憶えています。またイントロにソナタの前奏曲的なイントロをつけたリチャードのアレンジは今思えば自分的プログレッシブ・ロックの原体験の一つだったように思えます。

9.「恐れないで」(原題:Don't Be Afraid)
イントロのラ〜ア〜ア〜ア〜♪が衝撃でした。11歳の子供の知識では多重録音の技術は全くわかりませんでしたがカーペンターズは色々と声を重ねて不思議な音の壁を作ることが出来るということは理解していたようです。ハツラツとしながらもちょっと切ないカレンのヴォーカルが魅力のカーペンターズポップの最初期型モデルであり大好きな曲になりました。A&Mレーベルのトップであるハーブ・アルバートが聴いて契約を決めたという彼らのデモテープにも収められていた3曲のうちの一つでもあります。

10.「何んになるの」(原題:What's The Use)
再びリチャード・ヴォーカル曲です。よく指摘されていることですがこのカーペンターズのデビュー・アルバムは後のアルバムと違って、5曲でリチャードのヴォーカル、2曲以外が彼らのオリジナル曲です。リチャードのヴォーカルがカレンに比べてイマイチだというのは11歳の子供でも分かりましたがこの曲は少しとぼけたメロディとリチャードとカレンの掛け合いヴォーカルが楽しくて子供心に大好きな曲でした。そして次の衝撃の曲の橋渡しにちょうどよかったのです。

11.「オール・アイ・キャン・ドゥー」(原題:All I Can Do)
子供心にすごくカッコいい!と思った謎曲、今聴くと完全なジャズ・ロックです、しかも変拍子の!(笑)。カレン・カーペンターのドラミングも凄まじくほとんどマイケル・ジャイルズかロバート・ワイアットのように聴こえますしリチャードの間奏エレピソロもジョージ・デュークやヤン・ハマーのジャズ・ロック・プレイを先取りしています。カーペンターズの唯一の伝記の日本語版「カレン・カーペンター―栄光と悲劇の物語」によるとリチャード・カーペンターはフランク・ザッパの熱狂的な信望者であると書かれています。さもありなん。この曲もハーブ・アルバートが契約を決めたデモに入っていたそうですがカーペンターズ兄弟が下積み時代は、その真面目そうな風貌とは裏腹にかなり前衛的なポップグループだったことが伺われる楽曲だと思います。

12.「眠れない夜」(原題:Eve)
今思うとなぜ「イブ」が「眠れない夜」になるのは謎ですが子供の時は眠れない感じをよく表した曲だと思っていました。また短調の平歌で始まり長調のサビで終わるドラマチックな曲想は70年代前半当時のヨーロッパ系ポップスの影響を受けた歌謡曲ではよく使われていた手法だったのでそんなものだと思っていました。今の耳で改めて聴くとビートルズやプロコル・ハルムばりの分数コード多用した英国ポップ風で荒井由実的なものを予感させるものがあります。それ以上に「涙の乗車券」からこの曲までの繋がりがよく、LPの旧B面がまるで一つの組曲のように一気にテンポよく聴けました。

13.「歌うのをやめた私」(原題:Nowadays Clancy Can't Even Sing)
この曲もカーペンターズのオリジナルかと思っていましたが実際はバッファロー・スプリングフィールドの、しかもニール・ヤングさんの書いた曲だったのですね。最近になってSpotifyで初めて原曲を聴いてみましたがまるではっぴいえんどだなと思いました(逆逆w)。カーペンターズ版はと言うと再びイントロから壁のようなコーラスが入っていますが子供心にこの曲はフィナーレ的な気持ちになってしまいアルバムの終わりに相応しい曲に感じていました。11歳の子供にとって40分近くのアルバムを聴くことはとても長くこの曲で長いアルバムの旅は終わり、最後の「神の祝福を」はあまり記憶に残っていなかったです。アウトロが12拍子になりリチャードがめっちゃ流麗な速弾きエレピソロを展開していることに今回初めて気がついたぐらいです。

14.「神の祝福を」(原題:Benediction)
オープニング曲「祈り」と対をなすアカペラ最終曲。最後にオーケストラがちょっと入って一瞬で終わります。大人になって聴き返すとカーペンターズのアルバムはオープニングとラスト曲はリプライスのように繰り返す手法が多々使われており、まさしくトニー・バンクス的なプログレ手法なわけですが、実は11歳の子供の頃から密かに刷り込まれていたのだなあと思います(笑)。

https://open.spotify.com/album/5rfv5iWK2p4koT3Icahb4i?si=7Mokh7PORZe-u86aCOd2Ow



リチャードが23歳、カレンが19歳の1969年10月9日にリリースされたカーペンターズのデビュー・アルバム「涙の乗車券」、11歳の頃に感じたカーペンターズへの気持ちを長々と書いてみましたが、アルバム「涙の乗車券」はモノラルのカセットプレイヤーで何度何度も聴いた最初のアーティストアルバムとなりました。ベスト盤的選曲のもう一本のカセットより何故か有名な曲が入っていないこちらのカセットをたくさん聴いた記憶があります。一体なぜここまで惹かれたのかは今でもはっきりとした理由はわかりませんが、これまでにない何かの音楽体験を11歳の頃の自分は感じたのではないかと思います。この記事を書きながら一つの仮説を考えてみました。次回はそのことについて書いたみたいと思います。


最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!