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悩みが一瞬で消え去った話

今日は夕方少しモヤモヤすることがあり、心が乱れた。

最近は心が乱れた時には紙とペンで心の内を書き出すようにしている。ジャーナリングという心を整える手法で、以前から興味があったのでお試し中だ。noteに自分の気持ちを書くのもありだが、人に見られるものであるためにどうしてもウソが混じりやすく、自分の気持ちをつづって整理するには向いていない。その点、紙とペンなら安心だ。人に見られることはない。他者を意識して背伸びすることもない。ありのままの自分の言葉を書ける。

それから2ヶ月くらい、モヤモヤしたときには紙とペンに書き出してきた。たいていは書いているうちに書く前には気がつかなった点に気づき、モヤモヤが晴れる。しかし今日は晴れなかった。自分が行動しなければいけないのだけど、傷つくことを恐れていて勇気が奮い起こせない。震い起こせたとしても、ワァー!と戦場で突撃するような蛮勇しか奮い起こせる気がしない。

しかしそのような蛮勇に似た勇気が人と対峙する時には効果が出づらいことは分かっている。今までいろんな苦境に立たされて勇気を奮い起こしてきたものの、気合いを入れて発した言葉は相手がいる場合には刺さらず、結局興奮してわめき散らした挙句、最悪の場合は人間関係を破壊して終わる。勇気は愛とセットになってこそ効果を発するのだ。今日置かれていた状況において愛を伴った勇気を出せるのか自信がなく、結局時間に任せることにしペンを置いた。

そんなわけでモヤモヤの感情と共存しながら夜の時間を過ごしていた。奥さんがミルクレープを買ってきてくれたので、コーヒーを淹れて一緒に食べた。クレープを食べたあとは図書館で借りてきた手塚治虫の漫画を読んだ。手塚治虫の恐怖短編漫画集という文庫本。恐怖というよりも手塚治虫独自の深淵な世界観を表現した作品が並ぶ。火の鳥っぽくて面白い。

そんな作品を読んでいたら第二次世界大戦中の北アフリカを舞台にドイツ軍のロンメル将軍が連合軍に敗退し、戦地にいた市民である少年が爆弾の被害に合うシーンが描写されていた。これを見ていたら思った。

「俺の悩みなんて取るに足りないな」

自分は恵まれた豊かな世界で安全に家族と仲良く暮らしている。これだけの幸せを享受しているのだから、多少の苦しみはいいじゃないかと思った。

ナチスドイツの収容所やシベリアの収容所で人間扱いされないで何年も何年も苦役に耐えた人、死んだ人。フィリピンやニューギニアなどの南方で孤立無縁で戦い餓死しそうになった人、餓死した人。その他大勢の戦争時代を生きた人たち。その人たちと比べたら自分はどれほど幸せだろう。

そう思ったら幸せすぎて涙が出てきた。そんな僕を見て堕落した子孫だと先人たちは笑っているだろうか?そんなことはないと思う。「わしらの分まで幸せを味わっておくれ」と言っていると思う。「わしらはわしらで今は幸せじゃよ」と笑顔で言っているように思える。

人は死んでも死なないし、共に生き続ける。戦争時代を生きてくれた人たちにありがとうと言いたくなった。もしかしたら僕もその時代を生きていたのかもしれないなぁ。どこで何をしていたんだろうね。


▽ 鋸山(千葉県)の麓で呼吸で体を整える場所を運営しています。

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