呼吸の家のイカさん

断食・瞑想・裸足ランニングを通して心と身体の関係性を研究してきた人。瞑想スペース「呼吸…

呼吸の家のイカさん

断食・瞑想・裸足ランニングを通して心と身体の関係性を研究してきた人。瞑想スペース「呼吸の家」で呼吸を使って心と身体をほぐす方法をお伝えしています。普段はXで発信中。 公式サイト https://kokyunoie.com

マガジン

  • 初めて自分の本をつくるまでの記録

    2024年に自分の本をつくると決めました。それまでの試行錯誤を記録として残し、本にするかもしれません。本を出したら有料マガジンになるけど、今は無料で公開中。

  • 家族とのことで思った

    結婚し、娘が生まれ、親は歳をとっていき、自分たちも歳をとっていく。 娘は育ち、いつかは巣立っていく。 そんな日々の中で思ったこと。

  • 心が乱れた時の記録

    情緒不安定な時代はとうに過ぎ去り、自分の感情が強く動くことは少なくなったけど、今でも時々動くことがある。そんな瞬間を写真のように残しておきたい。読んだ人の心もちょっと動いたら嬉しい。

最近の記事

自然から離れることの代償を払わされた

冬になってから膝が曲がらなくなり、正座ができないくらい痛くなって困っていた。 冬は寒いから雨の日用のブーツを毎日履いていたのだけど、それがよくなかったみたい。 ・クッション性がありすぎて不安定 ・足首が動かない この2つが膝に何らかの悪影響を与えていたらしい。 気がつけば足の裏と足首がガチガチに凝っていた。足の裏を揉むと膝が楽になり、足首を回すと膝が突っ張って痛くなる。 すぐにソールが硬いゴムでできた学校の上履きみたいなクツを買ってきて履きはじめた。数日で深刻だった

    • 目指す場所がはっきりすれば、それに必要なことはおのずと見えてくる

      今週末は埼玉の実家に来ている。 娘がブレボ(2輪のスケボー)に乗れるようになってきたので、僕も一緒に乗ろうと思って大人用のものを譲ってもらうべく電車で埼玉から川崎に向かっている。 今住んでいる田舎町にいると高齢者しか見ないので、都会の電車に乗ると高齢者が少ないことに驚く。昔からこんなだったっけ?もしかするとコロナ以降は電車を敬遠する高齢者が増えたのかなと思った。 自分の体験を小説風に仕立てて本にしたらどうなんだろう?と思っているので、小説家の柿谷美雨さんのエッセイを読ん

      • 小説って読んでこなかったから、全然書けるイメージがないのでまずは人の作品を意識して読んでみることにした。 書くかもしれないと思うと情報の入り方が変わってくる。 主人公の1人称だったり、著者による3人称だったり。 自分の1日を小説のように書いてみるのがいい練習になると思った。

        • すれ違う夫婦関係の📕を小説形式で書くのもありだと気づいた

          糸井重里さんの雰囲気が好きで、その糸井さんが尊敬している吉本隆明さんに興味を持ち、吉本隆明さんを追っていたら娘の吉本ばななさんに行き着いた。 吉本ばななという小説家がいることは知っていたが、どんな小説家なのかは知らなかった。80年代に若くして一斉を風靡した作家だから、「蹴りたい背中」の綿屋りさみたいなイメージだった。ちなみに蹴りたい背中は読んでないし、綿屋りさがどんな作家なのかも全然知らない。おそらく今のライトノベルのようなカジュアルな作品を書く女性作家なのだろうと思ってい

        自然から離れることの代償を払わされた

        • 目指す場所がはっきりすれば、それに必要なことはおのずと見えてくる

        • 小説って読んでこなかったから、全然書けるイメージがないのでまずは人の作品を意識して読んでみることにした。 書くかもしれないと思うと情報の入り方が変わってくる。 主人公の1人称だったり、著者による3人称だったり。 自分の1日を小説のように書いてみるのがいい練習になると思った。

        • すれ違う夫婦関係の📕を小説形式で書くのもありだと気づいた

        マガジン

        • 初めて自分の本をつくるまでの記録
          12本
        • 家族とのことで思った
          1本
        • 心が乱れた時の記録
          2本

        記事

          叔父が食事をとらなくなったと連絡をうけて

          昨日母と電話していたら、叔父さんの話になった。 僕より16才上の64才。 高校生の時はサッカーの花形プレイヤーで、正月の高校サッカーでは準優勝している元気でおもしろいおじちゃんだ。 子供のころは夏休みや正月に祖父母の家に行くとよく遊んでもらった。 同級生のいとこがいたので、3人で近所を探検したり、庭でサッカーを教えてもらったりした。 小5の時には新品のサッカーシューズをぼくらにプレゼントしてくれて、うれしすぎて天にも昇るような気持ちだったのを覚えている。 そんな大好きだっ

          叔父が食事をとらなくなったと連絡をうけて

          書きたい気持ちが高まるタイミング

          このあいだ、「本当は毎日投稿したいんだ」ということを書いた。 それなら書けばいいじゃないかと思うけど、今まで散々トライしてきて「自分には向いてない」という結論が出ているからグッとこらえてきた。 しかし今朝は次から次へと書きたいことが出てきた。 こういうことが時々ある。 だいたい暇なときだ。 1日なんにもやらなくてもいい。 そんな自由な時間が生まれると脳が解放されたかのように言葉をつむごうとする。 かつてはそれが狂気の連続ツイートとして発散されていた。 しかし、狂気の連続ツ

          書きたい気持ちが高まるタイミング

          すれ違う夫婦関係についての本を書こうかどうか迷っている

          2024年を #自分の本をつくる 年にしようと決めて2ヶ月が経った。 まだ何も書いていない。テーマも決まっていない。 前回この話題で投稿してから1ヶ月が経ち、年もまたいだ。 2024年になった。 その間、相変わらず何をテーマに書こうか迷っていた。 以前の投稿を見ると、「消化することができた苦しかった過去について」をテーマにしようかと思っていたらしい。 しかし今はなんか違うなと思っている。 暗いし、書いていて楽しいとも思えなくなってきた。 年末に知人が毎年開いている餅つき

          すれ違う夫婦関係についての本を書こうかどうか迷っている

          本当は毎日投稿したいんだけど

          友達3人が毎日noteに投稿しているので、日課のように楽しく読んでいる。 本当は僕も毎日投稿をやりたい気持ちがあるのだけど、挑戦するものの数ヶ月後にやめるという経験を散々してきて「僕は毎日投稿に向かないんだろうな」と思うようになった。 遅筆すぎる。 最近は書き終わった後に何度も音読するし... ひまな僕だけど、意外と毎日やりたいことがあるらしい。娘と過ごす時間も大切なので、毎日投稿すると時間に追われることになる。 娘がパパと遊びたいのに「今書いてるから」と断る回数が

          本当は毎日投稿したいんだけど

          生きてりゃゴミは出る

          昨日・おとといは大荒れに荒れた。 このマガジンは「心が乱れた時の記録」だが、乱れたなんてものではなく、台風のように荒れた。 最初のきっかけは奥さんだった。 12月に入ってから、自分が面倒に思っていることを遠回しにやらせようとしてくる。少なくとも僕にはそのように思えた。 そのこと自体はささいなことなのだけど、ずっと溜まっていた「自分が面倒に思うことをどうして俺がやらなきゃいけないんだ」という思いが爆発した。 「お前が嫌だと思うことは俺だって嫌だわ!当たり前のようにやらせようと

          生きてりゃゴミは出る

          悩みが一瞬で消え去った話

          今日は夕方少しモヤモヤすることがあり、心が乱れた。 最近は心が乱れた時には紙とペンで心の内を書き出すようにしている。ジャーナリングという心を整える手法で、以前から興味があったのでお試し中だ。noteに自分の気持ちを書くのもありだが、人に見られるものであるためにどうしてもウソが混じりやすく、自分の気持ちをつづって整理するには向いていない。その点、紙とペンなら安心だ。人に見られることはない。他者を意識して背伸びすることもない。ありのままの自分の言葉を書ける。 それから2ヶ月く

          悩みが一瞬で消え去った話

          麓でウロウロするって大切なことなんじゃないだろうか?

          来年は #自分の本をつくる をテーマに生きようと決めてちょうど1ヶ月が経った。 かつての僕だったら「計画するより行動が大事!」とばかり、やみくもにエッセイを描き散らかし、たくさん書いたもののテーマに一貫性がなく、「これをどう本にまとめたらいいのだろう?」と途方にくれていたと思う。 しかしnoteを機に文章を書き始めて8年、僕もちょっと大人になった。ひどい多動症だったのがウソのようにじっと動かずにいられるようになった。「行動がすべて!」「行動しなきゃなにもはじまらない!」と

          麓でウロウロするって大切なことなんじゃないだろうか?

          自分の本のテーマに悩んだので、自分の好きな本の共通点を探したらヒントが見えてきた

          来年は #自分の本をつくる と言ったものの、入り口のところであーでもないこーでもないと考えて足踏みしている。 テーマが決まりそうなのだけど、「果たしてこのテーマで書けるのか?」とか「熱量の維持はできるのか?」とか考えてしまう。 「もう何者かにならなくていい」「普通に生きて普通に死ねばいい」と思っている気持ちをテーマにしようかなと思っていたのだけど、今日は「人の目を気にしてきた自分」「人にどう思われるか心配してきた自分」というテーマも浮かんできた。 このまま行くとどんどんテーマ

          自分の本のテーマに悩んだので、自分の好きな本の共通点を探したらヒントが見えてきた

          普通であることの自由

          「来年2024年は #自分の本をつくる でいくぞ」と宣言してから半月がたった。 最初の時の夢見るような思いはない。 だからといって諦めるつもりもない。 決めたのだからきっと自然に目標に向かって育っていく。 そう信じている。 行動することよりも大切なことは信じること。 信じてないのに行動しても空回りするが、行動していなくても信じていれば前進する。 進展がないことに動揺しない自分、信じられる自分になったのは動揺して信じられず実現しなかった過去があるからだ。 散っていった夢たち

          普通であることの自由

          自分の本をつくるというのは煮込み料理のようなものなのかもしれない

          「来年は #自分の本をつくる これをテーマにするぞー!」と意気込み、noteにしたのがちょうど1週間前だった。 実はそのあと数日経った朝、いきなりこの目標は消滅しそうになっていた。 起きたら全然熱量がないのである。「昨日までの恋する気持ちはどこへ?」という感じだった。何かに落ち込んでいたわけではない。いたっていつも通りの朝だったのだけど、燃える思いがないのである。 「自分の本をつくりたいという気持ちは自分の心から思っていることじゃないのかもしれない…」 そんなふうに思った。

          自分の本をつくるというのは煮込み料理のようなものなのかもしれない

          夢を叶えるって脳をバグらせて、この世界に思うがままの信号を送ることなのだろう

          昨日、2024年は本をつくる年にすると決めた。 𝕏でも告知し、あとにひけない状態にした。noteに本をつくる過程を記録するマガジンを作り、2つも記録をアップした(記事ではなく記録という呼びかたが気に入っている)。 本をつくると決めたので頭の中がせわしなくなった。ここ2年くらいはいつも頭の中はスッキリしていたのに、今朝はごちゃごちゃである。アイデアや不安がごちゃごちゃに放置されている。 昨日はちょっとハイだった。自分の本ができたらどんなにか幸せだろうというイメージが僕を幸

          夢を叶えるって脳をバグらせて、この世界に思うがままの信号を送ることなのだろう

          文体コンプレックスを克服したい

          ついさっきひとつめの自分の本をつくるまでの記録をアップしたのにもう2つめである。 というのも、僕の文章スタイルにはちょっとしたコンプレックスがある。 というより「本当はこんな風に書きたいんだけど書けないんだよなー」という問題である。 どんな問題かというと、ヒントはすでにここまでの文章にある。 箇条書きのような書き方になってしまうのである。 一つの文を書いたら改行。 次の文を書いたら改行。 文章の固まりにやたら改行がある問題。 本当はこんな感じで書きたいのである。 「ひと

          文体コンプレックスを克服したい