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誰と話をしているか

なんかタイトル決めて、書き出したまま、中途半端に下書きに残る原稿が増えてきた。塩漬けにならないようにちょっとずつでもアップしようかと笑

本日は、京都府庁の旧本館にある旧議場でシンポジウムに登壇。約110年前にできたこの場で、これからの京都をどうしようかと100年以上前から長らく議論されていたかと思うとということに思いはせる暇もなく、グローバルな話から、経済問題、資本主義、これからに向けた哲学やローカルでの実践のあり方みたいなことまで短時間で何往復も続く議論で脳内炎上状態に笑

そんな話だったので会場の人たちにうまく伝わったかどうかという心配や、もしかしたら消化不良みたいなこともあるのかもしれないなと思いつつも、きっとそれぞれなりの受け止め方をされ、自分なりにうまく消化されるのだろうと。そう信頼して発言できる場がよいなと思う。

あらかじめそんな展開になりそうなのは、来場者のみなさんも察してくれていたと思うのでよいのですが、普段はどうしても100%受け止めてくれるような状況でないと発言ができなかったり、提案できないということが起きている。結果同じ価値観、同じ考え方、共通体験、同じ目標、同じような雰囲気などのような同質性の高い人同士での交流や議論になりがち。とても安心だし、安全ではある。でもそればかりだとどうなるのだろうか。

いろんな人と出会う仕事をしているけど、つながる人はだんだん偏ってきている気がする。それはそれで構わない。SNSなんかは顕著だ。他の人のつながりやニュースなど自分以外の大半は違う次元で生きている。それも含めて今の社会だ。

多様性を語りながらも、いつも自分が安心でき、安全な場所で出会える人としか話をしていないなと最近思う中で、いつもと違う切り口で議論できた本日は頭をフル回転させることができほんとよい機会になった。

「誰とどんな話をしているか」「深めたいのか広げたいのか」たまには振り返ってみて、必要あれば、自分にない領域に触れてみるものよいのかなと思った春分の日。

春はもうそこまで。

サポーターが増えることで、山科醍醐こどものひろばの活動を中心に、子ども分野の活動が盛り上がっていきます。