見出し画像

地獄の警備員 リヴァイバル公開

「地獄の警備員」2月13日新宿K's cinemaにてリバイバル公開決定!あまりにも思い出があり過ぎるこの作品。浅草六区の映画舘大勝館の廃墟で撮影したあれやこれやが蘇る。なんだかんだ、もう30年前だ。ディレカン倒産直前で、もう現場予算がまったくなくて、仕上げの食事は自炊した。渋谷東急のスーパーで食材を買って、ダビングルームの給湯室で僕が食事を作った。鳥すき焼きとか。その時の録音助手は井口奈己監督と、現在でもお世話になってる臼井勝さんだ。助監督青山真治監督と脚本家の小川智子さん。美術デザイナーの清水剛さんもこれがデザイナー初仕事。まだ東宝の社員だったんじゃないかな。撮影の根岸さんもいまや深田組には欠かせないキャメラマン。制作宣伝は篠崎誠監督。篠崎さんはその後この映画の配給にまで携わっていた。ここから色々な才能が生まれた夢の工場は浅草六区の映画の館の廃墟。大杉さんの不在が寂しすぎる。

僕個人の想いとしては、ロケマッチしにくい場所を提示してしまい黒沢さんには大変申し訳ない思いでいっぱいだ。ディレカンから真っ当なラインプロデューサーが次々に抜けていき、制作部は経験値のない人々で構成されることも多かった。「地獄の警備員」もまたそうだった。経験が浅いから、人脈やパイプがない、ロケ場所の探し方も知らない制作部ばかりだった。メインロケセットになった大勝館は黒沢さんがプロデューサーで僕がチーフ助監督をやったドラマダス植岡組で使用した経験があった。青と赤に塗られた廊下や館内はまるでダリオアルジェントの世界のようで、更に植岡組にはその後岩井俊二組で活躍することになる種田洋平氏がついたので、劇場に大きな木を植えて、特異な世界観を出して好評だったが、「地獄の警備員」は商社が舞台だ。最初は地下の廊下の一部を使おうかとロケハンに行っただけだった。次に商社の表と一部廊下を緑山スタジオの玄関と廊下を使うことになった。そして肝心の商社は、四谷の太陽生命ビル。まだ廃墟にはなっていない。デスクなどを入れて商社の一室に仕立てた。しかし、この三か所どう考えても繋がらない。黒沢監督は現実主義者なので、制作部の力量を見抜いて、これ以上の物件が出てこないことを知ると、「何とかここで考えよう」と言った。ロケハンの途中で、清水剛さんをデザイナーに呼ぶことにした。清水さんとは「スウイートホーム」の美術助手をやっていた時に知り合った。低予算で美術デザイナーは呼べないが、この制作部の用意してきたロケ場所を使うにはデザイナーの力が必要だと思ったのだ。清水さんは、東宝映像美術の社員で「ゴジラ対キングギドラ」の美術助手をやっていて、まだ肩書は助手だった。「何とか助けてほしい。その代わりデザイナーをお願いしたい」と頼んだ。僕は助監督だったが、録音に鈴木昭彦氏を呼んだり、内藤剛志さんをキャスティングしたり、事実上のラインプロデューサーもやっていたようなものだった。その清水さんに浅草の大勝館を見せると「面白いね、ここでやろうよ」と言ってくれた。そこから、大勝館のあの緑と赤の廊下をスタッフ総出で「緑山スタジオ」の廊下と同じ塗り上げていく作業になった。このロケマッチしない商事会社の建物を清水さんはミニチュアを作ってきて、「外観はミニチュアでやろう」ということになった。こうして、清水剛さんに救われ、「地獄の警備員」は何とか撮影を迎えた。助監督としては、黒沢さんにディレカンの窮状を忖度させてしまったようで、本当に申し訳ないことをしたと思ったが、若いスタッフたちの頑張りで、現場は楽しかった。あれから30年。もう一度この映画を見たいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?