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周防灘の縮みゆく漁村|47キャラバン#3@山口

周防灘の漁師

 九州から関門海峡を越え、山口県へ。下関から車で30分のところにある小さな漁村で父と一緒に漁師をしている久保田宏司さん(50)を訪ねた。これが初対面。前日に突然電話したにも関わらず、予定を調整してもらって会うことができた。温厚なお人柄で、優しさが顔からにじみ出ていた。

 3年前までサラリーマンをしていたが早期退職し、祖父の代から続く船に乗った。とはいえ、父の漁を手伝う程度で、寂れゆく故郷をなんとか元気にしたいと、まちづくりの仕事に力を入れていた。そんな久保田さんが本格的に漁師をやろうと決意したきっかけが、昨年2月に僕が出演した「カンブリア宮殿」だったことをこのとき知らされる。食べる通信やポケットマルシェの取り組みを知り、消費者と直接つながる漁業に魅力と可能性を感じたのだという。

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不安定供給が生み出す希少価値

 小さな漁船で細々と漁業を営んでいるので水揚げ量も少ないし、天候にも左右されやすい。少し風が吹いただけで出漁できなくなることも多い。獲れたときだけ出荷できる「不安定供給」だが、消費者と直接つながることができるのであれば、それも価値になるんじゃないかと考えた。また、安定供給できないがゆえに市場流通に乗らず、漁師がこっそり食べていた美味しい雑魚も出したらおもしろいんじゃないかと思ったという。それで、昨年の秋から消費者への直販をポケットマルシェで始めた。今、直販に出しているのは、立網で捕獲する夏のワタリガニだ。そのカニを食べさせたいと、僕の来訪に合わせて茹でてくれていた。ノートPCを膝に乗せ、しゃぶりつきながら話を続けるも、指がカニの身と汁でべたつき、キーボードを叩けない。後は記憶力だけが頼りとなった。

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 敗戦後、日本は食べ物がなく、貧困にあえいでいた。焼け野原から復興を遂げるために、安価な食材を大量に安定供給することが一次産業に求められた。そして、「規格」と「安定供給」を前提とする現在の集権型流通システムができあがった。これによって日本人は空腹を満たし、高度経済成長を遂げることができた。一方、「規格」と「安定供給」という時代の要請に応えるため、漁業は急速に機械化、大型化を遂げた。たくさん獲って、規格に合ったものを大量に安く供給する必要があったからだ。しかし乱獲が横行し、日本近海から魚が減っていく。代替可能なコモディティ化も極限まで進み、消費社会から漁師の姿は消えてしまった。ガソリンスタンドで産地を気にする人がいないように、食べ物の産地や生産者のこだわりを気にする人もいなくなり、とにかく安さだけが追求された。

 スーパーにいつ行ってもあるのが当たり前。在庫切れは決してあってはならない。不自然なことが、自然なこととしてまかり通るようになってしまった。結果、食べ物へのありがたみがなくなってしまった。生産者や自然への感謝の気持ちも食卓から消えてしまった。豊かだった海もずいぶん貧しくなり、漁師もふところが寂しくなった。漁村から活気もなくなってしまった。貧困脱却時代には合理的だった集権型流通システムだが、年間600万トンも食品廃棄する飽食の時代となり、明らかに歪みの方が目立つようになっている。行き過ぎたコモディティ化を脱するためには、希少価値をいかに高められるかに尽きる。裏を返せば、不安定供給というカタチもひとつの解になるということではないだろうか。小さな船ほど、海の天候に翻弄される。条件のよい日だけ出漁し、そのとき獲れたものを水揚げする。これが本来、自然な漁業の姿ではないだろうか。不安定な自然に合わせる漁業は希少価値を増す。なぜなら、消費者はいつでも欲しい物を手に入らなくなるのだから。そうなれば、漁師や自然に感謝して手を合わせるようになるだろう。言うまでもなく、それは海の環境(生態系)にとっても負担の少ない漁業となる。

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食べる人の顔が見える喜び

 実際に自分が獲ってきたものを食べてくれた人から届く「ごちそうさま」は何よりの励みになるし、ますます美味しいものを、美味しい状態で届けたくなると、久保田さんは言う。今は、カニを生きた状態で消費者に届けるために、いろいろな工夫を凝らし、トライアンドエラーを繰り返している。最近、届いたカニが死んでいたというクレームがコミュニティに投稿され、落ち込んだ。「できるだけ生きたものを送りたいと思ってるんだけど、生きものだから死ぬこともある。気温も高くなってきたし、なかなか難しい」。

 父は当初、浜で自分たちだけ勝手な真似をする訳にいかないと直販に難色を示した。しかし、責任は俺が取るからやらせてくれと説得し、直販に踏み切った。今では、父も「今日は何個注文が入った?」、「どこのお客さんから注文が入ったんだ?」と、消費者と直接つながる漁業に張り合いを感じるようになっているという。地元の漁協には「今年は試験的にやってみるから目をつむってくれ」と頼み込み、それになりに成果が上がったので、翌年からは売上は漁協に納め、手数料を抜いた分が自分の銀行口座に振り込まれることになった。

縮みゆく漁村

 久保田さんは、あくまで漁業に力を入れるのは、地域を活性化させるためだという。大好きな故郷が寂れていくのを黙って見ていられないのだ。子どものころは港にところ狭しと並んで停泊していた船も、今では数隻がぽつりぽつりと浮かんでいるだけになった。この地域の漁師の平均年齢は70歳を超え、50歳の自分が最年少だ。消費者と直接つながる漁業で自分や父が元気になった姿を見せることで、他の年老いた漁師にも直販をやってもらいたいと考えている。これが、最後の希望の光なのだ。

 僕は、日本の人口がこれから激減していく中ですべての集落が存続するとは思っていない。大事なことは、消えゆく集落を記憶し、記録することだと思う。人は死んでも、その人の思いは残り、受け継がれるように、たとえ集落が消滅しても、その集落の思いを受け継ぐ人間がいればいい。しかし、このまま全国の農山漁村の集落を同時多発孤独死をさせるようなことがあったとしたら、日本はやがてシンガポールのような都市国家となるのは免れないだろう。それは、連続性を失った歴史の断絶であり、もはや”日本”ではない。細りゆく田舎の農山漁村の生産者とつながり、交わることは、僕は「看取る」ことで次の社会につなぎ、活かすことだと思っている。

 ひとしきり話終え、船に乗せてもらい、漁場を見学してきた。山口県の西部、関門海峡、九州の大分県まで一望できる。ここは、幕末、高杉晋作がアメリカ・フランス・オランダ艦隊に砲撃を喰らわせた舞台でもある。明治維新で日本は近代化へのアクセルをぐっと踏み込んだ。あれから151年。倒幕の先頭に立った長州藩も、過疎高齢化に悩みもだえる。港に戻ると、散歩中の久保田さんの父に遭遇した。漁師歴60年のベテランだ。「漁業組合正会員は最盛期120人いたが、今は18人しかいない。名産だったシャコや車海老はもうまったく獲れなくなった。20年前の高潮による水害で建設が始まった堤防の工事がまだ続いている。昔は砂浜に打ち上げられていたクラゲが堤防のせいで海に大量に漂い、漁にならない。砂浜も消えた」と、微笑みながらこれまでの歩みを回想してくれた。それは達観した人間の顔であった。

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REIWA47キャラバン山口

 久保田さんが暮らす山口県山陽小野田市から一路、光市へ。我が故郷の岩手県もデカいが、山口県もなかなかにデカい。今日のキャラバン会場は、海沿いに面したカフェレストランだ。15人の参加者のうち、半分近くが地元の漁師だった。

 漁師たちは一様に、海の異変を口にした。これまで日本では小笠原諸島や南西諸島より南に分布していた、猛毒を持つヒョウモンダコが網にかかったのだという。ワゴン車に布団を積んで寝泊まりしながら各地の漁村を訪ね歩き続けてきた海洋学者の新井章吾さんは「今年の海水温は高過ぎる。異常だ」と語っていた。このあたりの漁村も過疎高齢化が著しく進み、漁師も激減。新規参入のハードルが高い漁業だが、今では簡単に入ることができるようになったという。最近も県外からやってきたふたりの若者がルーキー漁師になった。この日、参加してくれた中堅の漁師たちも関東や関西出身者だった。

 2年前に開催した前回のキャラバンにも参加してくれた料理人の座間達也さんは、東日本大震災を機に関東から移住し、地産地消レストランを始めた人だ。仕入れる食材はすべて知ってる生産者からで、そのときどきで手に入る食材で腕を振るうから、味は毎回違うという。自然には同じということがない。毎年、いや毎日、表情を変える。ただ一度足りとも同じということがないのが自然である。そのときの自然が生んだ食材と対話しながら料理するので、同じ味にならない。同じ料理でも味にブレがでる。むしろこのブレこそが価値になる。

 フランスのワイン界で使われる「テロワール」は、気象条件、土壌、地形などブドウ畑を取り巻くすべての自然環境のことを意味し、最重要視される。ワイン愛好家は、同じ畑の同じ木でつくられるブドウからできるワインの年による微妙な違いを楽しんでいる。2度と味わえない唯一無二の味だ。同じものを効率よく量産する近代化によって、結果として衰退してきた日本の一次産業、農山漁村が輝きを取り戻すとしたら、この道しかないのではなかろうか。そしてそれは人間も同じことではないだろうか。私たちはロボットじゃないのだから。

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