【第32話】 ヤギ肉をさばく男🇲🇲
「市場」には観光客向けのものもあれば、そうでないものもある。ヤギの精肉市場はどちらかというと後者だろう。ヤギの肉を買わない観光客はそこで働く者にとって異物でしかない。だから、まずそうな雰囲気であればすぐに出てしまうつもりだった。だが今回はいつもと違う言い訳ができる。「仕事の取材で来ている」と言えばいいのだ。「俺は観光客ではない」そう自分に言い聞かせて、グングンと奥へ進んで行った。
肉をさばいている男に声をかけられたところで立ち止まった。こちらを指さしている。「そのカメラ変わってるな」と言っているようだった。チャンス到来。逃してはならない。これを待っていたのだから。
「ここで何やってる?」男の口調に嫌悪の色はない。優しい声だった。「実は日本の学生に見せる番組を作っています。この国の職場を紹介したくて。協力いただけませんか?」男はやや前のめりになって聞きながら、そうかそうかと頷いて同僚に笑いかけた。珍しい訪問者だ。「ちょっと相手してやろうか」とでも言ったのだろう。
男はカメラマンに追いかけられながら市場を回るのを楽しんでいるようだった。周囲の男たちが好奇の眼差しを向けてくる。楽しいなと思った。男、周囲の男たち、そして異国のカメラマンの新しい関係。自分にとってだけでなく、ここにいる誰にとっても新鮮に映ったのは明らかだと思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?