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仲間がいると瞑想の励みになる。

仲間に支えられているのかもしれない。

先日の坐禅会に参加して感じたことです。

朝早く起きて、家族がまだ眠っている中、一人で瞑想する時間は心地いいものです。自分のペースで過ごすことができるからです。好きなペースで動き、心地いいペースで呼吸する。そして、注意が向いていることに寄り添ってみることもできます。

ただ、自分一人ということには厄介な面があって、気になることに向いた意
識を自分自身で止めることができなければ、心静かに過ごすことができなくなります。いくらでも理由をつけて瞑想を中断することも簡単です。なぜなら、自分で自由に決めることができるからです。

それが、坐禅会やリトリートなど仲間と一緒に瞑想を行うと、そんな衝動にも自然とブレーキがかかります。それは、お互いを見張っているというわけではありません。感覚としては、”今ここに集中する”ことをお互い助け合っているという表現が違いように思います。。

もちろん、瞑想するのは自分自身なので、仲間と一緒といっても直接助けあっているわけではできません。

でも、一緒にいてくれる人の存在感が確かに助けになっています。もしかしたら、それは人に見られているという自意識からくる緊張感なのかもしれません。たとえそうであっても、仲間の存在が瞑想の励みになっていることに違いはないですからね。

一人には一人のよさが。みんなとならみんなとの良さが、瞑想にはありますね。

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