にわとりになって歌えたら。

ここんとこ、自分がすり減っているのがわかった。
仕事の忙しさに加え、娘の再不登校(現在、解除)、父の入院、お見舞い。
楽しいこともあったけど、心も体も忙しかった。
昨日、学校役員のイベントを終え、週末は予定がオフとなったからか、身体が動かなかった。

夫はお昼食べながら、出かける?と声をかけてくれたけれど、「娘と行ってくれるとありがたい~」とお願いした。

そして、ひたすら横になっていたのだけど、おなかがすいてきて、鴨南ばんをすすりながら、Amazonプライムを開く。


【母さんがどんなに僕を嫌いでも】を観た。
公開がらずーっと気になっていた映画。

吉田羊演じる母(光子)には、5%共感した。
電話しているそばで「お母さん、お母さん、おかあさーん!」と何度も呼ばれたら「うるさいー!」と言いたくなるし、イライラが爆発するときもある。(アンガーマネージメントを学ぼう、と思うほどに…)

でも、暴言、暴力をふるって、息子のタイジ(大賀)が家出をしてもなお、全く罪悪感がなさそうな光子には全然、共感できなかった。


子供はやっぱり親を好きでいたい。
その気持ちが叶わないとき、受け入れられないとき、苦しくて、しょうがなくて、壊れてしまいそうになると思う。
親は子供を愛してくれるはずなのに、そうでない事実を、どうしたら受け止められるのか。

憎むのは、愛することと同じくらい、相手を欲していることだ。

タイジは、自分を大事に思ってくれる祖母のような存在、友達たちのおかげで、自分を大事に思うことができた。
光子を救えたことで、タイジは自分を救えたんだと思った。
光子が生きていてくれて良かったと思ったのは、タイジのためになったからだ。

私がタイジだったら、自分をいらないと言った母のために、料理なんて作れるかな・・・。
相手に嫌い、と言われて、それでも私は愛してる!と愛を注ぐ自信がない。

でも、このお話は実話なんですよね。

私自身、虐待を受けていたことも、壮絶な過去があったわけでもないのだけど、「虐待」ということにすごく引っ張られる傾向があって。
ニュースをみれば、毎回、苦しくなるし、映画や雑誌で特集があれば見てしまう。苦しくなるから、やめようとも思うんだけど、引っ張られる。
心理学を大学で専攻したのも、「ネグレクト」のビデオを見て、衝撃を受けたから。
将来、カウンセラーになれたらいいな、と思うこともあったけど、大学時代に友人の相談ですら、消耗してしまう気質の私には無理だな…と早々に諦めました。でも、今でもやっぱり気にはなる。


映画はたぶん、短くしてあるだろうから、タイジに親友たちができる過程は本当はもっと長かったんじゃないだろうか、と推測。
【同期のサクラ】でも思ったんだけど、会ってまもない人に毒(本音)なんて吐けるー?!

そこだけは、私の現実とは違うかもな…。
私はきっといきなり「おまえの笑顔、気持ちわるい」なんて言われたら、即心のシャッター閉める自信ある。(笑)

でも、めちゃくちゃ泣いて(特に婆ちゃんとのシーン)、すごくスッキリした。涙で私の雑念も流されたみたいだ。主人公がハッピーエンドだったのも、良かった。

そうそう。タイトルに触れてないけど、タイジが演劇をやることで自分を解放していく感じがあるんだけど、演じるってどんな役でも、その人の中身がでてこそのって思うから、憧れるけど、私には無理だろう、怖いなって思う世界です。

にわとりになって、歌えたら、もっと楽しく生きられるのかな~ってすごく思ったから、タイトルに。


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