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飯田橋・神楽坂の映画館「ギンレイホール」の立ち退き移転について(2022/11/8) 

※この記事は2022年11月に書いたものです。続報のないまま今に至ります。

1 はじめに

 飯田橋・神楽坂地域で、半世紀近く親しまれてきたミニシアター、名画座「ギンレイホール」[i]が、今年(2022年)11月27日で閉館するという。[ii]入居する銀鈴会館ビルの老朽化による建て替えに伴う立ち退きで、ギンレイホールは移転先を探して再開予定ではあるとのことだが、現時点では発表されていない。

 コロナ禍下の2020年6月、ギンレイホールは経営支援を訴えてクラウドファンディングを行い、およそ2千名から2千万円程度を集めた。その際、館主の加藤忠はこう書いている。「その昔、神楽坂周辺にはたくさんの映画館や名画座がありましたが、いま残っているのはギンレイホールただ1館だけになってしまいました。名画ファンの聖地とも言われてきた粋なまち神楽坂の名画座ギンレイホールの灯を消してはいけない!」[iii]

 動画配信の時代に、町の小さな独立系名画座は、どんな状況にあるのだろうか。飯田橋・神楽坂地域で、ギンレイホールはこれからも経営を続けることができるのだろうか。この町にとって映画とは何だろうか。


2 ギンレイホールとは

 ギンレイホールは、座席数202席のミニシアターで、ロードショー後の作品を独自の観点で選んで2本立て上映する名画座劇場である。年間会員「シネパスポート」で見放題になるプランなどもあり固定客も多く、入替時間にはよく行列ができている。

 この劇場の前身は「神楽坂銀鈴座」(1953-4年頃〜)という映画全盛期の松竹系封切館だったが、1958年に火災で全焼。1960年、当時は界隈で一番高いビルだったという5階建ての現在の銀鈴会館ビルが再建され「銀鈴ホール」が誕生し、1974年から現在の名画座「ギンレイホール」としてスタートした。[iv]『キネマの神様』に登場する名画座は、原作の原田マハ、監督の山田洋次によれば、この劇場をモデルに描いたものだという[v]。


3 映画産業構造の変化〜配信とシネコンの時代のミニシアター

 映画産業においては、以前から映画コンテンツのマルチウィンドウ化が進み、映画館興行のウィンドウ価値は相対的に下降してきた。映画館のスクリーン数は近年増えているが、大手資本によるシネコン化、効率化によるものであり、スクリーン1つの一般館は減少が続く(2021年12月現在、都内スクリーン数408、うちシネコン332、一般館76)。

 コロナ禍に見舞われた2020年、国内の映像ソフト市場(6874億円、前年比121.9%)全体を見ると、有料動画配信市場(3973億円、前年比165.3%)が半分以上を占める規模に成長した一方、映画館興行収入(1432.8億円、前年比54.9%)は大打撃を受けた。[vi]

 中でも主に券売収入だけに頼る資本の小さなミニシアターにおいては、2ヶ月もの休館、更に客席数を減らしての営業再開後も、客足はなかなか戻らなかった。コロナ禍下の経営悪化を理由に、独立系ミニシアターの老舗、神保町の岩波ホールも、今年7月29日、54年の歴史を閉じた。


4 映画館と飯田橋・神楽坂地域

 明治期の終わり、映画興行は日本橋区、京橋区、浅草区等で寄席や劇場を利用して始まった[vii]。飯田橋・神楽坂地域でも、寄席や劇場から映画は始まり、時代と共にいくつもの映画館が出来ては消えた歴史がある[viii]。

 ギンレイホールは、飯田橋駅出口横すぐという好立地にある。飯田橋周辺では現在再開発計画が進み、次々と区画整理され高層化が進められている。東京都の再開発計画によれば[ix]、銀鈴会館ビルの立地もぎりぎり対象地域に含まれるようだ。築60年以上で建て替えはやむを得ないかもしれないが、地域の再開発に伴い、不動産価格の上昇、ひいてはジェントリフィケーションも起こりうるだろう。果たしてギンレイホールは、この地域に移転先を見つけることができるのだろうか。


5 おわりに〜映画が町に運ぶもの

 スマホの配信アプリから映画コンテンツに常時アクセスできるようになった現在、映画館という装置はいかにも前時代的な遺物にも思える。だが、留意したいのは、自室のベッドから映画視聴している配信プラットフォームの多くは海外資本のグローバル企業であって、個人の視聴データまでも、直接海の向こうのクラウド上に吸い取られている点だ。

 一方、映画館、特にミニシアターは、商品こそ世界中から集まっていても、町の個人商店のようなものなのである。そして、近隣から観客を呼び込み、映画の世界を引きずった人を吐き出して、現実に町を散歩させ、喫茶店で語らせ、酒を飲ませる。劇場には飲食店がつきものであり、映画は盛り場と共にあるということだ。

 ギンレイホールも、映画とその観客を通して、半世紀に渡って飯田橋・神楽坂の町に、新鮮で時には危険な未知の世界の風を吹かせてきたことだろう。それは、つまり、ささやかでも確実な「この地域の経済」そのものだったと言えるのではないだろうか。

 ギンレイホールを象徴していたものに、隔週ごとに手描きで描き替えられてきた上映スケジュール看板がある。「景観」や「アメニティ」基準が整理された再開発の街並みに、この看板を掲げることはできるだろうか。飯田橋・神楽坂地域に、これからも小さな映画館、ギンレイホールの手描き看板が掲げられ続けることを願わずにはいられない。


[i] 「飯田橋ギンレイホール」公式サイト https://www.ginreihall.com/

写真「ギンレイ通信」は、ギンレイホールで配布する上映案内を中心としたミニ冊子。

[ii] 日本経済新聞「ミニシアターの飯田橋ギンレイホール、11月で閉館」2022年9月21日https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC212EM0R20C22A9000000/

[iii] MOTION GALLERY,「開館60周年ギンレイホールの挑戦!名画ファンの聖地、神楽坂の名画座の灯を消さないよう、ご支援をお願いいたします」 https://onl.sc/u9HN6hB

[iv] てくてく牛込神楽坂「ギンレイホール」http://kagurazaka.yamamogura.com/ginrei/

[v] 上記ⅲのクラウドファンディングサイトにて、原田マハと山田洋次が『キネマの神様』に登場する名画座のモデルがギンレイホールであることをコメントしている。

[vi] 統計数字は、一般社団法人日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/data.html 、一般社団法人日本映像ソフト協会https://www.jva-net.or.jp/report/ の発表資料による。

[vii] 上田学『日本映画草創期の興行と観客』早稲田大学出版部、2012年、p63

[viii] てくてく牛込神楽坂「寄席と映画」によれば、過去、神楽坂地域に存在した寄席、映画館、劇場が8館確認されている。 http://kagurazaka.yamamogura.com/yose/

[ix] 東京都都市整備局「飯田橋周辺基盤再整備構想」(https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/09/14/documents/02_01.pdf

※以上のウェブサイトには2022年11月7日にアクセスした。


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