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読書。

岡田暁生、片山杜秀著『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書/2023)を読みました。西洋音楽についての、マニアックな対談です。いろいろ、面白いトピックがありましたが、印象に残った、ハイドンのパートの感想を書きます。

ハイドンはキャリアの40年ほどを、ハンガリーの貴族に雇われて過ごしました。そこには、小さなオーケストラがあったので、彼は交響曲を作曲しまくりました。その貴族は、音楽的な教養が極めて高かったので、音楽の細かな差異を聴き分けました。だからそこでは、玄人向けに、定型表現の中に微妙な工夫をするだけで通用しました。

その貴族が亡くなると、ある興行主に誘われて、ロンドンに行きました。ハイドン、60歳です。そこで、チケットを売って、ホールに人を集めて音楽を聴かせるという、世界初の"コンサート"を開いて、大成功しました。ただし、今度の聴き手はロンドン市民でした。彼らに音楽的な教養はありません。だから、そこで成功するために、ハイドンは、讃美歌や民衆歌謡風の覚えやすい、キャッチーな曲を作曲しました。

現在、私たちがよく聴く『驚愕』『軍隊』『時計』『太鼓連打』などの、ニックネームが付いた交響曲は、全てこのロンドン時代の曲です。さらには、このロンドンを経験したハイドンの影響を受けて、ベートーヴェンは、自分の交響曲を生み出したそうです。

これが、ハイドンパートの要約です。ここから言えるのは、あまりに、小さな差異を愛でるような、ハイコンテクストな表現は、普遍性を獲得し難いということでしょうか。現代美術は、まさにこの、小さな差異を愛でがちなジャンルなので、普遍性を獲得したければ、このエピソードは、良い教訓になる気がします。専門家にマニアックな褒め方をされた時は、自分の作品を疑っても良いかも……。

ただし、バッハは、ハイコンテクストの極致のような曲でも、全く古びません。そこが、古典派(和性の音楽)とバロック(対位法)の違いでしょうか。この本は、当然、バッハも大きく取り上げられていますので、そこは、バッハパートを読めば、詳しく書かれています……。

#アートの思考過程

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