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逃げない

苦しい事や辛い事が目の前に現れた時には、これは大いなるものに課せられた自分の成長の為のトレーニングだと考えましょう。それを乗り越える努力を最大限にしてみましょう。頑張って乗り越えられる苦しみもあれば、どうしても乗り越えられない事もあるでしょう。

しかし乗り越えたかどうかは問題ではありません。乗り越えようとする姿勢が大事です。苦しみや辛さは逃げようとすればする程いつまでも追いかけてきます。つまり逃げようとする者の後ろ髪を引っ張るように追いかけてきます。大事な事は逃げるのをやめて真正面から向き合ってみる事です。

『さあ、来るなら来てみろ』と覚悟を決めて受け止める。そういう姿勢で臨むと、意外とその苦しみが小さなものである事が分かります。正体が分からないからいつまでもそれに苦しめられるのです。真正面から受け止めてその正体をしっかり見据えれば、案外大したことないときが多いものです。

苦しみの大小は実はその人本人が決めています。例えば会社をリストラされた人でも『よし、リストラされたのだから、いっそ昔からやりたいと思っていた商売を始めてみよう。これは自分のやりたい事を始めるチャンスかもしれない。収入は下がるかもしれないけど、きっと人生は充実するだろう』

この様に考えれば、その人に取ってリストラされた事がプラスになる事もあります。人は物事をいいか悪いかで決めたがります。しかし禅の世界ではそのような二者択一の考え方をしません。ある人に取ってはその出来事がいい事の時もあるし、同じことが別の人にとっては悪い事というのはあります。

危機に直面した時

危機に遭遇した時には2つの選択肢しかありません。逃げるのか、それとも敢えて立ち向かうのか。逃げるのは諦めに過ぎず、可能性を放棄する事です。そういう人に未来はありません。言い換えると、あきらめずに立ち向かう人には無限の可能性が出てくるという事です。

『火事場のクソ力』という言葉があります。一般的には眠っている力を呼び覚ます意味で使われていますが、この力こそが闘争本能です。意志を超えて腹の底から湧き上がってくる気迫であり、ひとたびこれに火が点くと人間はとてつもない能力を発揮します。

ウクライナのゼレンスキー大統領がロシアの侵略に対抗する姿勢はこれに当たるものだと思います。多くの西側諸国を味方に引き入れる事に成功しました。この反対にアフガニスタンの大統領は我先に海外へ逃げてしまいました。

逃げない面々

サマリア人の話(Charity begins at home)

これは聖書の話で、高校の宗教の授業で習いました。『ある日の事、一人のユダヤ人が歩いている時に強盗に襲われました。そして身ぐるみ剝がされて打ちのめされ道端に横たわっていました。

一人の祭司がそのそばを通り掛りましたが、その怪我人を見て道の反対側を通って行きました。

次に同じく神殿に仕えるレビ人が来ましたが、怪我人を見て道の反対側に渡って、そのまま通り過ぎてしまいました。

3番目に通りかかつたのは普段はユダヤ人とあまり友好的ではないサマリアの旅人でした。彼は怪我人を見ると憐れに思い、自分のロバに乗せて近くの宿屋へ連れて行き、主人にお金を渡して介抱を依頼した後、自分の旅を続けました。』

これはひとりの律法学者がイエスに向かって問うた『隣人とは誰ですか』という質問に対するイエス様の答えで『善きサマリア人のたとえ』として聖書でも有名な箇所です。

隣人は誰かと定義を求めた律法学者に対して、イエス様が言いたかったのは『誰にせよ困っている人の隣人になりなさい』という愛の実践の重要性です。

『人に迷惑を掛けなければいい』という近代教育の価値観以外に『人の為に進んで何かをする』事の大切さを示すものでした。教育で人に迷惑を掛けないようにしつける事は大切ですが、どの時点かで、『進んで助け合う事』『弱い人の手伝いをする事』といった積極的な愛と奉仕の必要性と喜びを子供達に伝えていくべきと思います。

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