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順風満帆の時の心構え

人生には様々な時期があります。順風の時はあまり物事を考えない為に謙虚さを無くす場合が多く、逆風の時は色々思い悩む事により人としての成長があります。

順風満帆

順風満帆という言葉があります。たしかに傍目には大過なく順調に人生を送っているように見えます。しかし最初から最後までそうかというと、決してそうではないものです。その人をもっと詳しく知れば、『ああ、こういう苦労があったのか』といった発見があると思います。

誰でも順風に生きていく事が理想だと思いますが、順風ばかりであれば順風の良さが分かりません。逆風があってこそ順風の良さが分かります。一方、逆風の時は逆風をしのぐ面白さがあります。チャンスを掴む事もあるでしょうし、そこを抜け出す工夫や努力をする事はその人を成長させるはずです。

『ああ、大変だな』と思うような事でも、時間が経って後から振り返れば、大抵の事は『ああ、そう言えばそういう事も有ったな~』と思えたりします。人の力でどうしようもない事は死だけかもしれません。

死を基準に考えれば、人生のほとんどの問題は『たいした事はない』戦争から生還してきた人が『今、生きている事はおまけ』といわれる事があります。敵に徹底的に痛めつけられ、飢餓線上をさまよい、仲間はほとんど死んでしまったのに自分は生き残った。自分も死んで当然だったのに。

そんな人は仲間への贖罪意識も手伝って、命があるだけでも感謝したいという気持ちになるでしょう。あと半歩でも足を踏み出せば死という修羅場をくぐってきた人は生きて様々な問題が起こっても『あの戦争体験に比べれば、どういう事はない。こうして生きているのだから何とかなる』と思うのではないでしょうか。

ゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家の水木しげるさんやダイエー創業者で流通革命を成し遂げた中内功さん、ワコール創業者の塚本幸一さん等はそうした死生観を持っておられたのだと思います。

私の二人の叔父は塚本さんと同じインパール作戦に従軍して昭和19年にビルマにて戦死しました。今でも年に一度高野山で慰霊祭があります。まだ若いころ叔母に連れられて参列した事があります。そこでは戦友の方のお話を聞く機会があり、随分無謀な作戦であったみたいです。

戦友という軍歌

ああ戦いの最中に 隣に居りしわが友の
俄かにはたと倒れしを 我は思わず駈け寄りて
軍律厳しいなかなれど これが見捨てておかりょうか
『しっかりせよ』と抱き起し 仮包帯も弾丸のなか
折から起こる突貫に 友はようよう顔上げて

『お国の為だ構わずに 後れてくれな』と目に涙
後に心は残れども 残しちゃならぬこの身体
『それじゃ行くよ』と別れたが 永の別れとなったのか
戦済んで日が暮れて 探しに戻る心では
どうぞ生きて居てくれよ 物など言えよと願うたに

戦の最中、隣にいた友が敵弾に当たって倒れてしまったので思わず駈け寄って『しっかりしろ』と抱き起します。戦闘中そういう事にかまってはいられないと言われていますが倒れた友を見捨てておくことはできません。弾丸が飛び交う中で、わずかばかりの手当てをしました。

しかし、友を介抱している時に『突撃』という声が上がります。友は目に涙を浮かべながら、『お国の為だ。俺にかまわずに行ってくれ』と言います。そこで後で友を探しに戻ろうと思い、再び戦いに参加しますが、戦いが済んで日が暮れて、探しに戻った時には、その友は死んでいました。

国を守るという大義の為に友を見殺しにしてしまったという歌です。戦場と言う生死の境を行き来するような状況でも友を大事にしようというのは、人としての究極の姿であり、大切な人間性です。

戦後生まれの私にはこのような戦争経験はできませんので考えは足元にも及びませんが入院中人生の逆風を感じながら、自分の死について真剣に考えられた事はいい経験であったと思います。平和な時に生まれた事を感謝しつつ残った人生を有効に生きたいと思います。

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