見出し画像

少数派のイスラム教徒

アラウィ派

2009年にシリアの大都市で3000年の首都としての歴史があるダマスカスを訪問しました。当時のシリアは政治的には安定していて、アラブ諸国の中では映画産業が発達しているという事でしたので、ここでテレビカメラ等、通常ドバイから販売している業務用ビデオ機器のレンタルを始める計画でした。

ドバイ支店に駐在してもらっている新君の同行で、国営TV局や貸しスタジオ等の様々な関連業者や施設を訪問してビジネスの可能性を検討しました。以前、ウクライナ国営放送の受注でお世話になったナジ氏もシリア人でしたので、同行してくれました。もっともこの話の発端は彼であって、私達は彼に付いて回っていたという感じでした。

彼の出身地はシリア中部の中心都市オムスという大きな町で、彼と彼の家族はイスラム教でも少数派であるアラウィ派という事でした。同派はスンニー派が多いシリアにあって人口の1割程度の信者数にも関わらず、アサド大統領をはじめとして政治の中枢を占める人が多い宗派です。

シリアはキリスト教の一派であるシリア正教の国でもありイスラム教としての戒律は緩やかで、人々は飲酒もしていました。レストランではワインや地酒のアラクなどが楽しめる国です。ダマスカスは隣国レバノンのベイルートやヨルダンのアンマンと同じく自由な雰囲気に包まれた歴史ある魅力的な町です。

以前、内戦中のベイルートを訪問した事がありましたが、物資が無い中でも明るい国民性からか、昼食時から前菜の生野菜を食べながらアラクを飲んで、メイン料理が出る頃にはすっかり酔ってしまった経験があります。その頃、ベイルートの街はシリア兵が治安維持の目的で200m置きに戦車やジープを停めて監視をしていたのを思い出します。

ダマスカスから60Kmと言えば、今通勤している京都と大阪と同じ位の距離ですから派兵は簡単だったと想像します。どちらかと言えば国が分かれている事自体が不自然と思います。

内戦中のベイルートは建物の地上部分はほとんど破壊されていて、代理店は地下部分に幅5cmの鋼鉄製シャッターで外部と遮断してその中に事務所と倉庫を作っておられました。当時は音響機器が人気でシリア兵の免税持ち帰り需要が多かったようです。日本人の出張者はこの半年間なかったとの事で大変歓迎されました。

ベイルートに通じる国道への入口辺りの山を掘削した岩盤の地下には大統領府があって、構造は核シェルターになっています。これはテヘランのイラン国営放送の地上部分が公園になっているのと同じ目的の様です。イラク空軍の爆撃があった頃、テヘランでまだ完成してなかった蟻の巣状の地下構造を見学させてもらった事があります。

ダマスカス市内にはげ山の急斜面に多くの家がひしめき合って建っていて、パレスチナ難民のものとの事でした。今考えても不思議ですが、この上下に家の電灯が道に沿って並んでいる印象的な夜景は子供の時に見た夢の中のものと同じで懐かしい印象を持ちました。

ここから60Kmほど西に行くと国境の向こうにベイルートがあり、この地域はローマ時代より前に地中海を制覇していたフェニキア人の文明が栄えていた所でもあり、歴史と文明の重みを感じる街並みです。ヨルダンのアンマンと同じく、街角を曲がったら、キリストご本人と出会いそうな雰囲気のところです。

イスマイル派

画像1

ドバイで部屋を借りていたアパートの筋向かいに中くらいの大きさのモスクがありました。ここはイスマイル派の総本山という事で、シリア国営TVのアナウンサー、モーセン氏がこの派に属しており、たまたまドバイで私達の家に来られた時にこのモスクを知って、私達との縁の深さに驚いておられました。

イスマイル派の今のトップはパキスタンのアガカーンと言う人で、政治的にも大きな影響力を持っています。以前日本のJICAプロジェクトでパキスタンのアガカーン大学にTVカメラシステムを納入した事があります。

聞くところによると、イスマイル派はシリアの他にインダス川流域や北アフリカのサハラ砂漠のオアシス等に信者がたくさんいるとの事でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?