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【人生クッキング #006】殺人と活人について思考する

こんにちは、ひろげとんです。
今日のトピックは「殺人と活人」についてです。
ぜひ見ていただけると大変励みになります。
では、さっそく本題に入らせていただきます。
(前回の記事は文末に載せています。)

1. 殺人 - self admonish

題名が「殺人」ですから一瞬を人を殺したのか、とか考えてしまうかもしれませんがそのような話ではありませんし、僕は人生で1回も人を殺したことはありません。
では今回の話における「殺人」と「活人」とはどういう意味なのか。
まずは以下をご覧ください。

【殺人と活人】
この言葉はそもそも禅の教えから来ており、「殺人刀活人剣」という言葉でよく使われる。ここで言う「殺人」とは人の命を奪う行為ではなく、殺人活人どちらも禅の世界において修行者が身に付け、自由自在に化身として使いこなせるようにしていくべき働きであるとし、必ずセットである。
最も基本なるものは要するに「殺人」とは「捨て去る」こと、即ち「捨てさせる」働きのことであり、逆に「活人」とは「獲得する」する働きのことである。宗教における修行において一番大切なことは自分の中にある迷いや欲望、執着などを一度すべて捨てきってしまうことである。
ちなみに兵法界では柳生宗矩が提唱した理想であり、「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」と説いている。

https://coconala.com/blogs/161883/100342

僕はこの言葉を大学4年生、2021年の時代に知りました。知ってかなり感銘を受け、それから座右の銘としています。
基本的に人間というのは惰性的であり、感情的であり、非生産的です。本能で生きると人間はそうなっていきます。それを良しとする考えについてもまた今度述べようとは思いますが、それだけだと人間というのは潰れてしまいます。潰れないためには自信に刃を向けることも時には必要です。
自身に厳しく他人に優しく、という言葉の通り、押し殺すという行為も時には必要です。ただここで重要なのが、厳しくなれる環境なのかどうか、または厳しくなるほど楽しいことに没頭できているか、その2点がとても大切です。無意味と感じているものごとに一生懸命に自信を厳しくしてもそれこそ非生産的です。
「殺人」とは、自身に鞭を打って厳しくすることです。

2. 活人 - self renunciation

では逆に「活人」とは何なのか。人を活かすと書いてある通り、本来刀というのは人を殺すためのものであるが、ここで言う刀というのはただ物質的な「刀」を指しているだけではなく、「心」を表現しています。人の心を活かすのです。最近SNSでも誹謗中傷が悲惨的で言葉の暴力によって亡くなられる方増えています。人間というのは東洋学的には本来、人に施しを与えて生きる喜びを見出す生物なのに、これでは真逆の行為です。
最近話題のワールドカップでもドイツ代表チームが口を手で覆うポーズを取ったことがニュースで取り上げたりしましたが、まさに「活人」という視点で捉えた場合に、口で覆った理由や背景にある事象については全く持って活かす心が欠けていることが分かります。
人の心を活かさないといけないと強制的にするものでは決してないです。強制的にするというのは恐怖で支配する行為ですから、そうなった途端に目的を見失います。どちらも選択できる権利があるからこそ、今一度冷静にどちらを選択するのか考えてみてほしいのです。

今回は短いですが、敢えてここで終わりにします。
多くを語らないことこそが、自身で考えなくてはならない余地を与えることに繋がるのでそうさせていただきます。

3. 終わりに

皆さん、どうでしたでしょうか?
「殺人と活人の両軸を常に意識する」、とても大切な考え方ですね!

何か意見などあればコメントいただけると大変嬉しいです!
では次回のNoteもお楽しみいただければと思います!
今後とも応援よろしくお願い致します。

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