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「その昔『会話のダルセーニョ』で友達を失った話」の企画書

音楽記号の一つに「D.S.(ダルセーニョ)」というのがある。

D.S.は正確には「dal segno」(ダルセーニョ)と書き「dal」は英語でいうと「from」つまり「~から」という意味を持っている。そして「segno」は「サイン」という意味なのでD.S.は「セーニョのサイン」まで戻るということ。

この楽譜で言うと…

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A〜B〜C〜D〜E〜(セーニョに戻って)B〜C(終わり)

となる。

専門家ではないので間違っているかも知れないが、現代音楽でいえば「サビ」ということになるんだろうか。

最近、ZOOMやTEAMSなどを使ったリモート会議でもこの「ダルセーニョ」を感じる時がある。

直接対面した会議では「相手の仕草」「言葉選び」などの「場の空気」を構成するなにかで「相手の意思を理解」して、また「自分の意図」も伝わっている実感があるのだが、

リモートでは「マイクが拾う雑音」「画像の不鮮明さ」「映像のノイズ」「時間差」などの「フラストレーション要素」が重なり

「本当に伝わってるかな?」

そういった「不安感」が常につきまとう。

そしてついつい「さっき言った事」に「ダルセーニョ」してしまい、何度も同じ発言を繰り返してしまっている。

人によっては「それさっきも言ったのに」「この人、頭悪いんだろうか?」という疑念や不快感を与えてしまっているかもしれない。

本当に伝えたい「サビ」だから「D.S.」してしまうだけなのに。

振り返ってみたら、数年前も新番組立ち上げの会議でこの「ダルセーニョ」の罠に陥ったことがある。

友達だと思っていた同業者の発言がどうしても自分の持って行きたい方向と真逆だったので、何度も「D.S.」で問い詰め、仕舞いには喧嘩のようになってしまった。

その頃はもちろん「リモート」ではなかったのだが、新番組の立ち上げとあって僕が気負い過ぎ、廻りの空気が読めなくなってしまっていたのだと思う。

その友達との関係もいつか「セーニョ」からやり直したいと思う。

皆さんも会話の中にこの「D.S.」が出た時は「空気が読めてない」証しかもしれないからお気をつけ下さい。







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