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◆以前投稿した記事について、加筆修正しました。

「彼のメスは何を切ったのか? /手塚治虫,ブラック・ジャック「医者はどこだ!」
https://note.com/hiroimasaharu/n/n37a948a8a46b

◆森鷗外の五条秀麿シリーズ「かのように」「吃逆」「藤棚」「鎚一下」(「秀麿もの」四編).ちくま文庫で読んだが、同文庫は頁を繰らずに脚注を確認できるのでとてもよい。鷗外が創り出す最高峰の日本語の連なりを、時代を越えて読むことができるのは素晴らしいことだ。

◆個別性の深度を強めれば強めるほど、泉が沸き出でるように内包はどんどん豊饒化する。知性作用はこれに逆行し違うものを同じとみなす方向をとる。抽象度の階梯を上下に移動し、その都度レンズを使い分けているのが私たちの日常である。同メカニズムを見抜き、賢しらな知性主義者に流されないように。

◆「人間」の自由や「人」の自由を言うひとも、決して「個人」の自由とは言わない。なぜなら自身が集団・団体に従属的に属し、自身の「個」を埋没させているからである。メンバーの個(つまり個別性に潜む無限の内包)を尊重できず面罵しておきながら、「人間の自由」を講義するなど滑稽である。

◆法律の実務家としては「方法論的分節(主義?)」といういき方が最もしっくりくるようだ。無限の内包を有する流動する現実のなかで、区別と連結を踏まえた分節を前提に、外部の諸項の接続秩序に内部のそれで対峙する。そのため、「かのように」「みなす」やレトリック論とも親和的となる。

◆クリプトメモリア(criptomemoria)無意識のうちに潜在している記憶.暗示攻撃・防御、分からなくても何度も読む理由、何かがあると直感しその方向へ行こうと思う理由等のベースにあるのだろう。*カルロ・ギンズブルグ「わたしはアルナルド・モミリアーノから何を学んできたか」参照

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◆分節という営為の上で、行き詰まりを踏破する新生的な自由のためには、諸項の接続秩序を静的固定的に仮定したうえで、現実の実相(無限の内包、生成変動する流動性)に対応し、ダイナミクスを打ち込む必要があり、その点に永遠の希望という光が見い出されていく原理的根拠があるように思われる。

◆今の法学部生(広く学生)が羨ましいのは、木庭顕『法学再入門 秘密の扉―民事法篇』(有斐閣,2016)を読めることである。じっくり何度も読み、何かを感知し無数の問いが自らの中に立ち上がるのを感じ、諸方面に探究作業をすることができること、その発火点を得られることは素晴らしいことだ。

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◆二つに分節(区別したうえで連結)する、ということが自由確立の基礎にある。事実(事実認識、存在)と規範(価値判断、当為)に分節する。主体と客体を分節する。主体はさらに精神と身体に分節する。現実原則と構成的解釈に分節する。記号と指向対象に分節し、記号はSaとSéに分節する等々。

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◆「謎掛け・謎解き」は、厳密方面に行けば学問や法廷等となり、気楽方面に行けば推理小説・クイズ等となる。しかしC・ギンズブルグは、シャーロック・ホームズの方法を19世紀末頃の推論的範例の一つとし、これを長大な歴史を持つ思考類型の系譜に位置付けた。こうした自在な横断的知性が好きだ。

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◆カルロ・ギンズブルグの手法とアブダクションの関係等についての文献・資料

ウンベルト・エーコ他編『三人の記号 デュパン,ホームズ,パース』東京図書,1990

鈴木良和「エドワード・ミュアー「導入部―細部を観察する」(1991)」先端課題研究19文献レビュー(歴史学)

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◆発見的認識の造形という佐藤信夫レトリック論の視圏は、対象を捉える新しい眼を示唆する。贅沢品たる修飾のための修辞概念を優に超え出て、現実という無限の内包の豊饒性に対応するように、無数のロジック展開(これは諸項の接続秩序の様相の一部)の在り方の一部、特に新生的局面に位置付けられる。

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◆訴訟等法実務に飛び込めば、狭小で単調な実証主義的姿勢はすぐに行き詰まり、懐疑から楽天的に至るナラティブ的姿勢はお呼びですらない(これらが結局は「力への信奉」を生むことは興味深い)。そこで徴候からの推論的範例・徴候解読型パラダイムを駆使するのであるが、方法論の蓄積は十分だろうか。

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◆「《あらゆる発言ないし批評はその正面に被批評対象の像を描き出すと同時に、背面には当の批評者の姿勢をありありと描き出す・・・》という言語の必然の作用…」(佐藤信夫「消滅したレトリックの意味」『レトリックの消息』47頁,白水社,1987)。逆なでに読む、つまり読むときの基本。