◆R・エスポジト イタリア哲学の回帰

こうした外への径路が必要になるのは、いずれの著作家の場合でも、抽象的な思考、あるいは形而上学的な論理の思考から出発してしまうと、生を捉えきれないためなのです。なぜなら、生の具体的な姿は、そうした思考から必然的にこぼれ落ちてしまうからです。

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