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メモ書き 観念と映像(事例比較の原理の基礎固め)

1 「知性作用たる観念」と「想像作用たる映像」
(1)観念と映像、その関係性
観念は知性作用による表象であり、映像は想像作用による表象である。

*「表象する」は「心に思い描く」と換言することもできるが、「描く」という比喩が入っているため、想像作用による映像寄りの表現となる。

三角形や四角形は明瞭に想像することができる。では、千角形はどうか。千角形と千一角形を区別して想像できるだろうか。これらの映像が、明晰かつ判明にうかぶだろうか。

観念なら可能であるが、想像では不可能であろう。

観念上、千角形と千一角形は違うものであると直ちに分かるのは、知性作用の働きであって想像作用のそれではない、ということになる。

千角形は赤色に塗り、千一角形は青色に塗るとする。これらを表象する際には、観念と映像を合わせて作動させており、知性と想像が相互に働いているといえる。

(2)魅惑的で危険な「観念」
このように見てくると、観念のありがたみ、観念で操作することの威力、観念によって内的な緊密整然性をはかれること等が分かる。ゆえに、観念は魅惑的である。

他方で、観念には危険性がつきまとう。

想像できない、ということは何かが捨象されている、ということである。また、捨象されていること自体に気付かない、ということである。なぜなら、捨象前のものと対比できないから。それが観念というものであり、もちろん観念の不備ではない。



2 内包と想像力
(1)抽象度の階梯と外延・内包
言葉には、抽象度の高低がある。

抽象度が高く外延的意味が大きければ、反比例して内包的意味は小さくなり、逆に、抽象度が低く内包的意味が大きくなれば、これに反比例して外延的意味は小さくなる。

(2)意味をつかみ出す
現実(ないし世界)に潜む意味を汲み出す方法の一つは、内包的意味を探り出すことである。そのためには、観念を活用するのではなく、映像、すなわち想像力を活用することである。認識対象について、具体性を高め、想像を巡らせ、豊饒化した内包を凝視して意味をつかみ出す。

*知性作用たる観念を活用して意味をつかみ出す方法もある。別の機会に検討する。

(3)事例比較への適用
(判例を典型とする)事例は、言葉により構成された事実群によって組成されている。

*言葉により構成される前の言語外現実を対象に含めて思考する場合は、事情はさらに高度になる。それが「徴候」(カルロ・ギンズブルグ教授)による推論の問題であるが、別の機会に検討する。

事例比較の際には、言葉の抽象度の高低を動かし、分節層を変えていくこと、これにより具体性を高め、豊饒化した内包から想像作用によって意味をつかみ出していくことが、基礎的作業として要請される。

とはいえ、前述した「千角形の赤、千一角形の青」の例から類推するに、いかに想像作用を活性化させるといっても、その際に観念の知性作用が働いていない、ということもまたありえない。



【参考文献】
・佐藤信夫『レトリックの意味論』75-78頁(講談社学術文庫,1996)
・佐藤信夫『レトリック感覚』196-199頁(講談社学術文庫,1992)
・カルロ・ギンズブルグ(竹山博英訳)「徴候 ― 推論的範例パラダイムの根源」『神話・寓意・徴候』177頁(せりか書房,1988)
・カルロ・ギンズブルグ「(インタビュー)歴史と想像力」『現代思想』1986年11月号,14巻12号.42-54頁.




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