VUCAの時代の人文学は、滅びゆく種族の唄なのか?

昨日は凄く久しぶりに母校を訪れました。おめあては、山上会館で開催されたTOKYO COLLEGEの哲学・歴史・文学・宗教の先生方による「”世界”とは何か?」というシンポジウム。

発見がいくつかありました。思ったことを記録します。

1.どの学問も「世界」=西洋中心主義であり、日本の先生たちとしてはそこに東洋の概念を持ち込みたいという野望(?)を持っているということ。

私が経験してきた米系外資系

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僕はきちんと覚えておきますから。

vtuberが商業に飲み込まれて、単なるコンテンツとして、いつか飽きられたとしても、
その華々しい世界の裏で苦しんだ人々も、絶対無駄になんてなりませんから。

人の文化を記述し、種まく人びとを記録に残すことが、僕ら人文学の仕事です。

どんな技術も使うのは人なのよ。
人を知ってるから、そこに技術が伴ってくるんじゃないかしら。
Appleがヒットしたのも、4Kが普及しないのも、要はそういうことよ。

随筆2 「完全な他者」との対話

つい先日、ツイッターでこんな話があった。所謂文系と言われる人々は、何をモチベーションに研究をしているのか、と言っていた人がいたのだ。文系に「新たな知」の創造は可能なのか、という問いを添えて。嘗ていた学者の研究を読み返して焼き直すことにどのような意義があるのかという率直な感想とも言えるこの意見は、常々人類学を学ぶ僕自身考えてきたことでもあった。確かに、そう言われてしまうと特に人文学というのは意義や動

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優秀な人が潰れる世界っておかしい

もう少し、"頭のいい人"に優しい社会になりませんか。

僕がずっと考えていることです。

僕の身近な人たちで、病んで倒れていくのは、いつだって、”優秀”とされる人たちでした。
これは講義で「こころの病」の症例を観たり、偉人の歴史を学んだりしても思ったことです。

優秀な人に優しくない世界

頭のいい人、優秀な人は、考え方も柔軟です。
そのため、周りに対してとても優しいように思われます。

しかし、

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「アタリマエ」幻想

文:Rin Tsuchiya

アタリマエとはなんだろうか。ひとまずは「我々にとってそれをするのに疑問を持たずに行える何か」とでも言えようか。国の数だけ、もしかしたら人の数だけアタリマエというのは存在しているかもしれない。

普段はそれが我々の骨身にまで浸透しているため、アタリマエが当たり前に存在していることには気づかない。歩く時には足を動かすし、仏壇の前では手を合わせるし、食べる前には「いただき

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商学から文化研究に到るまで

Rin Tsuchiya

私は今、博士後期課程で文化人類学を学んでいる。「文化」は比較的理解されても、ここに「人類」がつくと途端に理解されない。たまに「人間の骨を測ったりしてるの?」とも言われる。それは別の畑の話だとツッコミを入れることも慣れたものだ。
ごくごく簡潔にいうと、文化人類学は「異文化を学ぶ学問」という事になる。これではいささか不十分だが、それはさておきここでは私が文化を学び始めた経緯

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普通って何だ?

今日、ホームステイ先のおばあさんが炊いたお米を食べて感じたことだ。

おばあさんは米を研がない。その上、ナベに水を沸かしてタマネギを煮て、塩とオリーブオイルを投入してから米を入れる。10分ほど炊いたらタマネギを取り出してツナ缶を一緒に食べる。

もちろん味も食感も違う。米の種類が違うとかそういう問題じゃない。しかもこのお米、サラダに混ぜて使う。娘さんは、このお米とツナのトマト煮を混ぜて食べる。

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「役に立たない勉強」の話をしよう

「文化人類学って何?」

初対面の、特に学問を専門にしていない人などからはよくこんなことを聞かれる。一般的には、「文化」の方はまだ親近感があるだろうが、ここに「人類」が付くと途端に理解されない。ないし「人類学」だけだと余計に理解されない。
その上に、一言でわかりやすく説明するのに骨を折る。なんとか説明したところで、次にくる質問はだいたい決まっている。次の二つだ。

「それってなんの役に立つの?」

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