洗顔料を使わなくなって1ヶ月。

私生活のこと。年内に子供が産まれます。新潟市で出産予定です。安定期も過ぎ、2週間に1回の検診頻度になりました。ただ、感染対策で、夫の僕は一度も産婦人科の中に入ったことがありません。もうこの時点で、出産の立ち合いができないことも決まっているし、我が子の顔を見ることができるのも、出産から1週間後?らしい。なんとなくちくしょうコロナって思ってたし言ってたけど、あ、心から思ってなかったんだって思うほど腹の底から思うほど憎い。残念。だからこそ毎回もらうエコー写真に、結構感動してたりする。真横にいる妻のお腹にいる子供の写真のはずだけど、どこか遠いところから、必死に会いに来ようとしてくれている人の手紙みたいだなとか思っている。その人は自分の子供か。早く会いたい。そんな気持ちが先走って、身の丈に合わない引っ越しをしてみた。10日しか経ってないのに、不安であまりゆっくりできない。生きてるというより、生かされてる感じ。でもいいこともあった。妻が過ごしやすそうなのと、初めて書斎?をつくってみたこと。前の家では、リモート会議が当たり前になって、背景に映った時にちょいちょい会社の上司・先輩に指摘されているくらいダサいカーテンを使ってた。18歳で上京してからニトリで買った「ハリネズミ」のカーテン。正直センスがなくて(選んだ俺の)、でもなんか捨てられなくて、社会人になってもずっと使い続けた。いよいよ捨てるか迷ったけど、やっぱり捨てられなくて最後に引っ越しの段ボールにぐしゃぐしゃに入れた。書斎用には結局新しいカーテンを買ってしまって、このハリネズミのカーテンどうしようかなと思ったけどそのカーテンは未来の子供部屋行きに決めた。使ってない部屋を開けるとそこにある。これもなんだか嬉しいこと。新潟にUターンしてみて嬉しいことや良いこともいっぱいあるけど、苦しいこと辛いこともいっぱいある。困ったことで言うと、地方では(どこでも一緒か)「自分が何屋か」言えないと生きていけないみたい。なんとなく作られたことばで説明してみて、なんとなく理解してもらうけど、自分って何屋なんだろうって話しながらいつも思う。自信もってこれができるってこともないし、その気持ちが満たされることもこの先ないだろうなって思った時に、自分が何屋かよりも、何がやりたいかの方が大事じゃないか?と思うけど、周りの人に「いや、そうじゃなくて・・・」とか「地方で生きていくには・・・」って言い返されるだろうしなと頭でシミュレーションして、いつも口に出すのをやめてる。まあ、自分の信じる道をひたむきに進み続ければあとでついてくるもんなのかなあ。と、自分の問題なのに、ここだけ人任せにしたりする。どうでもいいけど、洗顔料を使わないで顔を洗うようになって1ヶ月、肌の調子がすこぶるいい。

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