今の先生に考えてしまうこと

 さて、自分は常々口にしてますが、教育関係の大学に行ってます。そして、学習支援ボランティアや保育の現場を見てみたりと色々なことをしてます。

こちらで記事にしてるように、自分はとある事がきっかけで教育に興味を持つようになりました。そして、自分はそっちの世界に首を突っ込むようになっていきました。自分は、今でも興味はありますし、何をしていきたいかはまだ迷ってます。人のために出来ることをしたい。しかし、職とすると話は別になってしまうところがあります。お金がなければ明日は暮らせない。職場環境はどうなのかなど、ですが、自分は自分が良いと思ったところで働いていると思います。その為の対策をしっかり考えて生きていけるはずですので、さて、そんなことよりかも、自分が今回書きたいのは「教育、福祉」に関して思うこと、というよりかも、自分は今回はこれを書きたいです。それは

「教育に関わる側の人のポテンシャルが低くい。」

そう思ってしまうのです。

 何故、そう思うかというと、最近教員の不祥事の事件が多い事が挙げられます。というより、昔から多いのですが、「あり得ない」事が多すぎます。

例えば、バスの中で子どもが死んでしまったり、中学校の教員がいじめをしてたりととてもありえない事が多すぎます。そんな時に自分は考えました。「なんでこんな事が起きるのか?」
そう思う人は多いと思います。さて、自分は教育関係に関わってる身としてなんでなのかを自分の考えを述べたいと思います。

1.モラルの問題

 皆さんはTikTokなどを見ていますか?自分は料理を作る時にメニューをチェック考える時に使っています。けど、先生になる人も普通にあげてます。だいぶ前に中学校の教員がいじめ動画を上げてたことを覚えていますか?大の大人で子ども達に教えていく立場の人間です。それが、どうしてこんなことをしたのか?そう思うかもしれません。しかし、現実的にはそこの倫理観が身についてない人や表になってないことで黒い部分なんて沢山あります。後で触れますが、ある程度の社会性と高い学力で決めてしまっているので公立の学校、私立の学校、はたまた私立の幼稚園や公立の幼稚園でも不祥事は起きてしまう。性的行為が話題になるかもしれないが、あれも一種の不祥事です。何がいけないか、何が良いのかそういうモラルの境界線が先生もわからなくなって来てるのだとおもいます。

2.決め方

 では、教員というのはどういうので決めてるのでしょうか?簡単に言うと学力と面接です。平たく言うと会社の一般企業と同じで、勉強が出来て熱意を感じられれば良いし、たとえ中身が嘘だったり、先生として必要な子どもへの価値観や倫理観、そう言うのが欠如してても許されるもの。授業中で眠っていたり、スマホを弄ったり、よそごとをやったりしてる。そう言う人でも受かってしまう。故に、今までしっかりやってこなかった人が仕事についてから苦しい思いをしたりしてしまったり、すぐに辞めてしまう。社会の社畜と呼ばれる人達ができるシステムをイメージしてもらったらわかりやすいかもしれません。保育士も子どもを相手することを抜いたら同じシステムで出来て上の人に従わないといけません。しかも給料も高いとは言えない側面も有ります。自分は保育士や教員が少ない理由はここにあると思いますし。国が少しずつ変革させてこうとしてますが、根本的な決め方が変わらなければ何も解決していかないと思います。

3.先生としての志の低さ

昔から、先生というのは国の方針に従って育てていくものでした。しかし、その方針に従って行ける子がいる反面、従う事ができない落ちこぼれと呼ばれる子どもがいました。しかし、それを志が高く、本気で子どものことを思ってる先生が助け、教える。助けられた子どもが成長して歴史を変え、日本の「何か」の変換期の中心人物となる人を誕生させて来ました。しかし、今の社会で、そのような人物が出てくる機会がとても少なくなってると思います。何故少なくなってるかと言うと、導ける、本気で子どものことを思ってる先生が現場で減ってる事が原因だと思います。では、何故減るのか?簡単です。割に合ってないからです。どれだけ頑張っても給料が安いとなれば、早く辞めたり、取って結婚して現場に行かない。と言う人が多いと思います。何故なら、現場と理想は違うからです。子どもが好きでも相手できませんし、上司にあたる先生に叱られたりなどもはや「子どもの相手=業務」としか見れなくなってしまい心を病んでしまうからです。それを口コミとかで知ってる人とかは保育職の大学に行ってこう口にします。「どうせ安いし、保育じゃないものをしたい。」と結局欲しいのは「大卒」の看板や「公務員」の看板(厳密には公務員ではないのですが、ブラックに近い所で働くより一般職に働く。これでは人は集まりませんし、公務員でも上下関係が厳しいところとか有ります。しかも、制約が厳しかったり、やってはいけない事があったりと、こんな状況で子どもを導くような先生は現れにくいと思います。


4.止まらない不登校、大人になってからの不登校

 しかし、ここまで言って皆さんは思いませんか?「別に、先生の志が低いことの何が悪いの?」と思いますよね?実は、関係ある所が有るんです。それは、社会に出てからの労働力が減少する可能性がある。ということです。「少年革命家ゆたぽん」君をご存知の人も多いと思います。彼は不登校で有名になった子です。学校に行くことは義務になってますが、彼はその義務を放棄しました。確かに、義務を放棄することはいけないことです。けど、自分がいけないのはそこだけではないと思います。自分は先生にも問題があると思います。親を説得する人もいない、彼を説得する人がいない。精々、彼のことをYouTubeで知った人がTwitterで口を開くだけ。これは可哀想なことだと思いますし、彼は今の社会が求める姿の被害者であると思います。国は「個性を尊重」と言ってますが、実際問題は違います。上にいる人に忠実な馬車馬が欲しいと思ってます。人間誰しも自分に従ってもらいたいと思います。その欲求を満たせる人材が欲しい。学校教育の頃からそれを刷り込むようにしてる。個性を殺していた。その結果うつ病を発生させる人が多かったり、学校の頃にできた事が社会で通用しなくなり、自分の個性を知る事が出来ずに、社会に馴染めなくなる。その結果、5080問題のような問題、30、40代の引きこもりと言った労働力を減らすような問題が起きて不登校になってしまいます。このまま行けば日本は50年までには無くなってしまう可能性があると予想されてますが、自分もこのままいけばそうなると思ってます。

人は、人の本質見抜く事ができない。


ここまで行って来ましたが、自分は重要なことを言うのを忘れてました。それは、人の本質は誰にも見抜けないということです。例えば目の前にとてもボサボサでブサイクでボロボロの服を着てる人がいるとします。皆さんはどんな印象を受けますか?多分、こう思うでしょう「お金がなさそうで、気持ち悪い人。」としかし、その人は本当は大金持ちだと言われても信用できないはずです。先生だって子どもを本気で知ろうとしてもわからない部分がありますし、採用する側の同じです。みんながみんな、その人の本性は分かりはしません。だからこそ、国がシステムを変えていかないともっと問題が深刻になっていってしまいます。だからこそ、国の方針、採用の仕方など熱意を持った人が馬鹿を見ないようにしていかないといけないと思います。



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