【百科詩典】やすくにじんじゃとせいじか【靖国神社と政治家】

靖国神社に参拝する日本の政治家たちは死者に対して(西郷が同志朋友に抱いたような)誠心を抱いてはいない。
そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂する(賛意であれ、反感であれ)ことを知っているから、そうするのである。
どんな種類のものであれ、政治的エネルギーは資源として利用可能である。
隣国住民の怒りや国際社会からの反発というようなネガティブなかたちのものさえ、当の政治家にとっては「活用可能な資源」にしか見えないのである。
かつて「金に色はついていない」という名言を吐いたビジネスマンがいたが、その言い分を借りて言えば、「政治的エネルギーに色はついていない」のである。(中略)
政策的整合性を基準にして人々の政治的エネルギーは運動しているのではない。
政治的エネルギーの源泉は「死者たちの国」にある。(中略)
極右の政治家たちはその点でブラック企業の経営者のように仮借がない。
「死者はいつまでも利用可能である」ということを政治技術として知っている。

~内田樹『街場の天皇論』