「悩む」

WelfieLinkの冨田です。

これは2017年12月に書いたものです。今見ても意外と深いのでシェアします。


最近悩むことをやめた。
いや、正確には悩む時間を極力減らしている。
悩むという行為は誰もが経験していて、
無意識にその行為を行っている。
自分のこれまでを思い返してみると、
事あるごとに悩んできた記憶がある。
元々事象をマイナス面に過大評価することが多い私は、
悲観的というわけではないが
リスクに目を向けることが多い。
ネガティブ面が強くなればなるほど、
悩むことは自分に重くのしかかる。

そもそも悩むことは考えることに起因し、
それがなければ生まれることはない。
考えて考えて考えて考えれば
自然と頭は悩む状態に行き着く。
悩むことは頭を絞るような感覚になるから、
自分では考えていることとの違いがわかりづらい。
また外見でもどこまでが考えるでどこからが悩みなのか、
判断がつきにくい。
頭が疲弊しているにも関わらず、外部は気づかない。
だからこそ社会問題としてのいじめや自殺も
発生しているのではないかと思う。

ただ、私の場合、考えることと悩むことの違いが
内面でも外見でも小さいことによって
自分を形成してきたかもしれない。
小学校から今に至るまで、様々なことを考えてきた。
その時間は人より長いかもしれない。
しかし、考えが煮詰まり、水分が蒸発して仕舞えば、
それは流動性のない、硬く固まった悩みとなる。
一度悩みとなってしまえばそこに新たに流れをもたらし、
考えることに引き戻すのは難しい。

そうやって、頑固なまでに固まった悩むという姿勢を
私はいつしか当たり前のように世間に晒していた気がする。
答えが出ない問いに対し、考えているフリをしていた。
そうしていれば世間は、いつも難しいことを考えてるなあと
ある意味評価してくれるのではないか、
と心のどこかで思っていた。
そしてきっとそれは少し正しくて、
真面目というレッテルをずっと貰えていた。
しかし一方で、そのレッテルが次第に自分を締め付け、
さらなる悩みの種となったこともあった。

でも今は違う。
ある大学教員が言っていた。
悩むのは時間の無駄、考えろ。
ようやくこれまでの自分がわかった気がした。
そうか、自分は考えてなかった。

私は悩むことに価値はない
と言い切ってもいいのではないかと思う。
考えて、悩む状態になる前に決断する。
決断する勇気を持つ。
もし決断できないなら
頭から離してしばらく放っておけばいい。
とにかく、固まった悩みをどうにかするよりも固まる前に
どうにかした方が圧倒的に楽で簡単で、時間がかからない。

気が楽になった。
どうやら頭で起こっていたはずの悩む行為は
心理面にも悪影響を与えていたらしい。
楽観的でも悲観的でもない。起こる事象を正面から考える。
そうやって生きて、
これまでと何が変えられるだろうか、何が変わるだろうか。
今から楽しみで仕方がない。

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