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あしたへのきたい

「ではない」でしか表せないことは多い

明日が来ることに期待しているわけではない

明日は、まあなにか余程のことが起こらない限り、やってくるわけで
あまりにも「余程のこと」が起こる確率が低すぎるせいか、「夜は必ず明ける」なんて言葉があったりするわけで

でも、それをそっくりそのまま受け入れて生きていることには少しだけ違和感があったりするわけで。

明日が当たり前すぎて、明日の必然性なんて考えないけど、みんながみんな過去と今日の積み重ねである明日と、それに明日が積み重なった明後日と、その未来に期待してるわけじゃなかっちりするわけで

人はみんなこんなにいろんなことを考えて生きているのかと時々思う
多すぎる、あまりに多すぎる
とてもじゃないけど、他人のことを考えるなんてむりなのだ
考えている自分を、自分が認識すると、いつもその場で吐きたくなって倒れたくなる
だけど、ここで倒れたら、ああ、周りの人はこう動いて、それを知った知人はこんなことを考えて、自分自身は、、ああ考えきれない、倒れるのもやめよう

おもいはしまわれる
自分の気持ちが伝わらない、伝えられない
この世界には、自分がしまったおもいは、関与できない、認知すらされない
伝えたかったおもい、でも伝わらなかったおもい、実は世界はそんなものにあふれているのではないか

そんなおもいにはどんな意味があったのだろうか
このおもいは。

人に言えるようなやりたいことはある
自分のやりたいことはなんだろうか
しまわれたおもいに基づくこともあったのだろうか、もうそれはわからないのだ
自己効力感というやつも、結局はしまわれなかったおもいにしか、効かないのだ

どれが「しまわれなかった自分」なのだろうか

明日が来ることに期待しているわけではない

いい明日がみんなに訪れたらいいな

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