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SFCの扉は少しだけ軽くすべき

本記事は、2019年ごろに途中まで書きかけた文章に、少し追記をしたものです。

どうも、WelfieLinkの冨田です。

さて今回は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の各棟の扉がテーマです。

SFCに来たことがない人はなんのことやらさっぱりかもしれませんが、実はSFCの授業を行うほぼすべての建物は腕の力だけでは開けるのが困難なくらいに扉が非常に重いのです。

これらの扉が重いのは、SFCが設立されるときに「扉は重いもの」というのデザインコンセプトがあったからという話を聞いたことがありますので、今回はそれを前提に話を進めていきたいと思います。

なぜ重くしたのか

SFCが設立されたのは29年前。それまでの一般的な大学からすれば、日本初のAO入試を導入したり、学問分野を横断的に学ぶことができるキャンパスというかなり異質な空間として開設されました。設立初期は「未来からの留学生」という呼び名も用いられるほど、先進的な設備も揃っていました。

キャンパスの自体の作りも、建物と建物の間の通路にあえて少し位置をずらして樹木を植えることで、行き交う学生が片側通行にならないようにし、対面での顔を見合わせたコミュニケーションが何気なく取れるようにするなど、細かな工夫が散りばめられました。(κ〜οまでの講義棟と研究棟の間の通路)

その中の一つが、今回の「扉が重い」という話なのです。

普通に考えれば扉が重いのはデメリットしかありません。バリアフリー的に見れば車椅子の方は非常に通りにくいですし、開けた後自動で閉まるのも軽い扉で可能です。毎回毎回通るたびに体当たりをしなければならない扉に需要など普通はないのです。

ですが、実際にその重い扉がSFCには設置されました。ここには並々ならぬ思いが込められているに違いありません。

その思いを推察するに、
各建物の扉は授業を受けるときに必ず開けるもの=そこに苦難があっても開かなければいけない
ということから、
どんなものが相手でも自らの力で未来を切り開ける人間になってほしい
という思いがあったのではないでしょうか

当時はパソコンもネットも、一般家庭には普及していない時代。タイムリーに様々な情報を得ること自体が難しい時代。だからこそ、得体の知れない物に対して一歩踏み出すだけで、人間としての価値が生まれ、世界で活躍できる時代だったのではないでしょうか。

未来からの留学生であるならば、相手が重い扉であろうと自ら扉を開けて一歩踏み出して欲しい。そして世界の第一線で活躍して欲しい。

そんなSFCスピリッツが込められているのだと思います。

なぜ軽くすべきか

スマホもネットも普及し、調べたいことがあれば今すぐに調べられるようになった現代においても、日本人は特に一歩踏み出すのが苦手だと思います。

一歩だけならその一歩を戻すこともできるので、決心さえつけば難しいことではないはずです。


2022.9.16追記ーーーー
つまり今や、一歩踏み出すことは誰にでもできる状態。そこ「だけ」取ってみれば、以前より相対的に価値は下がっているはずです。
むしろ逆に、踏み出した回数に応じて得られる経験は単純に比例するわけで、その経験値がどれだけあるかが、VUCAの時代においてより求められる価値と言えるのではないか。

そう考えた時、SFCの扉はもっと出入りがしやすい、少し軽い扉にするべきだと思うのです。

ここにはもちろん、「戻りやすい」という意味も込められる必要があります。
踏み出したことが失敗する確率が高い中で、扉の軽さは「戻りやすさ」の象徴でもあります。

ただし、いくら出入りがしやすいようにと言っても、自動ドアはふさわしくないでしょう。
入り口に立ったら勝手に開くドア、出口に立ったら勝手に開くドア。
そこには自らの力で切り開く覚悟がありません。

始めた以上は責任が伴うのもこの世界の道理であり、それをチャレンジのしやすさと引き換えに失うことは、無秩序化を促進します。

少しだけ軽くなったSFCの扉を、自らの想いと少しの勇気を持って、開く。

それが、今の時代に求められる、SFCとしての扉のあり方ではないかー


きっとそんなことを考えて2019年の私は書き始めたのだと思います。

あれから3年。世界は大きく変わり、疫学的・地政学的という言葉が改めて広く意味を持つようになりました。
一つの事柄により多くの機能・意味・価値を求められるようになった世界において、SFCは扉だけでなく多くの面でこれまでの30年を振り返る必要があるのかもしれません。

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