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三次元的には方向音痴なれど、人生上で迷うという感覚はわからない

東西南北の感覚がぜんぜんない。⠀

家の近所でも道を間違えるし。

行きと帰りでは進行方向が違うため、景色が変わって見えて、
「行った道を戻る」
だけのことが困難だったりもする。

カーナビやGoogleマップという文明の利器があるからこそ、知らない道行ってみるなどが楽しめるが。

基本、初めての場所に行くときは迷う前提の時間調整で臨む。

ところが。

人生上の分岐点、曲がり角は、これまで間違ったことがない。

負け惜しみではなく。

うんざりしながら…であっても
悪態つきながら…であっても。

その時の道が「間違っているかもしれない」と思ったことがない。

過ぎ去った道筋も、すべて正解だったと思っている。

失敗がなかった…と言ってるのではない。

失敗はあったが、それでも、その道が正解だったと思っている。
そういうことだ。

人との出会いもまた、しかり。

中には手痛い目に遭った関係もあったけれど。
その結果、得たものも大きかった。

痛かったら痛かっただけ、得たものが大きかった。

子ども時代については、自分自身でコントロールできることは少ないので。
選んできた道…とは言いがたい。
それでも、その途上での重要な出逢いは、一直線に、今に繋がっている。

わたしの中の羅針盤は、正確に、行き先を示す。

ある時期、時々お会いしていた関西弁の神降ろしをされる方が、

「たくさんの人が、進む道を聞きにきてくれるんやけどな。
 わしは、<道に迷う>という感覚が、わからんのや~」

と、おっしゃったことがあった。

一応、わたしも相談者の一人として着席していたのだけれど。

数回の面談は、いつも、質問と応答よりも、雑談の時間が長かった。

その方のところに通っていた他の相談者さんと会話する時間もたくさんあったが。
どうも、そんな状態の相談者は、数少なそうだった。


わたし自身も、その方のところへは、「自分のことを相談する」のではなくて、その方がどのように神と付き合っているのか…っていう雑談に価値を見出していたので。
面白いお話しもたくさん聞けて、満足しかなかった。

求めることを、提供してもらっていたのだから、何の不満があろうか。

そして、わたしも、その方のおっしゃることは、よく感じるのだった。

「迷うって、どういう状況なのかな?」

と。

もちろん、日々の中で、甲乙つけがたい選択肢が並んだ時などは、迷うことはある。
決定に時間がかかることもある。

ただ。

「どっちへ行ったらいいのか、わからない」

という感覚は、わからない。

羅針盤の示す方向へ行く。
それだけだから。

大きく道がそれることもなく。
仮に逸れても、わかるし。
その先で、本筋に戻るポイントと繋がっていることも、わかるのだ。

関西弁のカミゴト師さんとの関わりは、ほんの短い期間だったが。

見えない世界との付き合い方の基礎的なところを、見せていただけた。

自分の手と、どうコミュニケーションをとっていくのか…というところも。
その方が、コツを教えてくださった。⠀

その時まで、無意識的にやっていたことを、理屈の通った方法論として、肉付けをしてくださった。

時期的には、天使から日本の神様へと絵の内容が移り変わっていく過渡期のこと。

護符を書く
という行程の、いろはの「い」を、学んだのも、その方だ。

そのようなカリキュラムがあったということではなくて。

雑談の中で「ちょっとやってみぃ」という軽いノリで始まった手ほどき。

結局は、そういった「断片」を、どうやって統合して自分のカタチへ昇華させていくのか…というのが。

なんじゃないのかな。

と、思っている。

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