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AIを相方に...その後

画像生成AIのMidjourneyがV5になって、ますます精度が高まった。
その恩恵を、楽しく享受している。

これまでは、Web3.0...というか、生成AIの操作や新情報を教えていただいている社長さんが設けたサーバーで作ってきたのだが。
先頃、自分が使うためのサーバーを設けた。

サブスクメンバーは、自分用のサーバーを作ることができる。
生成画像が大量になってきて、ジャンルもいくつか分かれてきた。
使わせていただいていたサーバーは、いろいろな人が生成の場にしているので、そろそろ、自分自身の分類で作っていく方がいいと思えてきたためだ。

 

目下のところ、AI画伯に依頼しているのは2つ。

  1. コンセプトショップとコンテンツ制作のためのイメージ画像

  2. オンラインプリントグッズの制作用画像

1は、前からやりたいと企画していたもので。
2は、つい最近やってみようと思ったものだ。

翻訳アプリも向上しているし、説明文もAIがいい感じまで書いてくれるようになった。
そこで、海外のオンラインプリントグッズサイトに登録してみたのだ。

それについては、また後日、気が向いたら紹介したい。

  



AIに仕事を奪われる、という話題が喧しい。
そして、それはもう、止められないだろう。
人間にしかできないことは何か...というテーマは、昨年から盛んになっている。

経営は、人間にしかできない。
芸術は、人間にしか作れない。

それらも、もはや、怪しい。

ただ。
そんな「世間のざわめき」は、わたしには、あまり関係がない。
少なくとも今のところは、AIはわたしの強力な助っ人でしかない。

それは、たぶん。
わたしが、「実物を作る」ことがメインだからだと思う。

AIとの付き合いを生まれた時からしていくであろう、これからの世代の人達が主導する時代になったら、話はまた変わるかもしれない。
その時、この世界がどんな様相になっているのか。
今の段階で想像できるような状況とは、おそらく、全く違う展開になると思う。

  

かつて、「HAL9000が生まれなかった、この世界」という表現をしていた記事を読んだ。
一つの巨大なコンピューターとして完成したHAL9000は、ネット社会になった時、生まれないことが決まった。

別の作家が書いた、「あるソフトウエアが、企業や個人のコンピューターをネットワーク化し、人を端末化する」という小説も読んでいるのだが。
現状は、その方向へと向かっているように思う。

その作中では、人というものがインターフェースの一つとして接続されていて。
(「マトリックス」とはまた違った在り方で)
人は消耗品となった。
コンピュータから離れられないまま、飲食もせず衰弱して昏倒、あるいは死に至る。

情報の与え方と感覚を操作することで、人間を従わせていく。
催眠状態におき、中毒にさせて、端末から離れられないように「教育」する。

その作品の当時は、まだスマホもSNSも登場していなかった。
現実にはもちろん、作中にも。
だから、なんとか端末から離れれば、ひとまずは支配下からは抜けられる。

現在はどうだろう。
離れる、ということすら、限りなく不可能ではないだろうか。

そんなディストピアへ向かうのか、どうか。

今チェックしてみたら、その作品の初版は1997年だった。
まだ、ネットに繋ぐのは一日の決まった時間だけだった頃だ。
ピーガーガー言う接続音も含め、昭和生まれにしか通じない話かも。

気になる人もいるかも知れないので、Amazonリンクはっておく。

  


そんな、リアリティ満載のディストピア作品を思い出しながらも、AI相方との共作は続く。

いかに構文を作れば、素早く理想的な絵を出してきてくれるかと、試行錯誤しながら。
これから先の世界の在り方について、思いを馳せる。

これもまた、贅沢な話だ。



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