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ひきこもりの解決5(遡ってみました)

今日は記録のような内容です。
娘が中3でひきこもりになってからの日々を、説明がてら順を追って書いていきたいと思います。


高校受験

娘の進路について、不登校になるまでは私は特に心配することなく、自然の流れでどこか選んで行くんだろう、くらいに思っていました。

絵を描くのが好きで、小学生の時にはお絵描きを習いたいというので通わせていましたが、公立にも美術に特化した高校などあって、そこへ行くのかな?などと、楽しみにしていました。

勉強は口うるさく言わなくても、中学3年になれば、受験勉強に本腰を入れて1年間を駆け抜けるものだとばかり思っていました。

それが夏休み直前に、突然始まった不登校。クラブ活動の拒否、唯一通っていた英語塾へもパッタリと通わなくなりました。

私は心療内科の先生には、今は学校もクラブも塾も、そして受験も、考えないほうが良いんですね、と返答したものの、その先が見えないわけですから戸惑いしかありません。

迫られる進路

夏休みが終わり2学期が始まっても、娘は通学することなく、学校からの進路に関するお知らせ、期限のある申し込み書など、

現実とはかけ離れたスケジュールが進んでいく中で、果たしてどうすれば良いものかと、暗い気持ちでおりました。

同学年からは、完全に置いていかれている気持ち。
やるべき時にやるべき事をやっていないことに、やはり向き合わざるを得ないんです。

もちろん学校の対応は、心療内科的にゆっくり考えていったらいいんですよ、とはなりません。

どうしますか? 

と問われ、直面することになります。提出期限があるものは出さなくてはならないし、ある程度の希望や方向性の絞り込みなど、いつまでも保留にし続けるわけにいかない事案が迫ってきます。

私は自分の性格とも経験とも、まるでかけ離れた状況を前に、途方に暮れていました。

どうすればいい‥

考えてはいけないのに、考えないといけない。 
周りが待つことを許さないのが現実です。頭を抱える日々。
何の心配もしていなかったはずが、状況は一変していました。

推薦入試

結局娘は受験勉強というものは、一切、やりませんでした。
2学期の半ばを過ぎ、普通に通学していれば推薦入試をもらえる時期で、娘は不登校になるまでは良くやっていたため、私も何ともやるせなくなり、

この状況ながら推薦がもらえないものかと思って、先生に尋ねてみたところ、校長先生との面談で本人の意思確認とともに、許可が下りました。
面接と小論文(作文)のみ。

私も決して強い訳ではないので、とてもホッとしたのを覚えています。そこに望みを繋ぎました。
過去には考えていなかった総合学科の高校。美術系の選択授業が豊富でした。

また不登校

そして冬休み。3学期からは登校すると宣言し、スタートはそれまでにない感じに明るくなって通っていましたが、やがて失速。

そして受験。小論文を書き、面接も練習どおりにこなして、何とかクリア出来て合格。

本人はとても喜び、私もたまらなくホッとして嬉しかったです。

そして、卒業まで残りの僅かな時間、登校するのかと思いきや、やはり不登校。
うーん。そうなのね。。

役員の仕事

私はこの1年間、実は広報担当の役員を担っていたのですが、
我が子が完全な不登校なのに、学校行事や役割のため、夜からの話し合いに参加するなど、とてもじゃないですがメンタルが持ちませんでした。(免除されました)

卒業式だけは、先生や生徒全員のための花束の手配を引き受けましたが、
我が子は、午後からの、一人卒業式だっため、何とも言えない心境になりました。 

停滞する家族

ちなみに、もうずっと以前から元旦那は鬱で、勤めていても会社から早退することが日常的でした。

担任の先生が訪問されている時でも、狭いマンションですが、玄関からそのまま部屋に入ってドアを閉め隠れていたので、
協力して何かを決めていく、という感じではなかったです。
我が家の空気は停滞していました。


ここまで書いて気づきましたが
娘の身に起こった出来事をこのペースで順番に書いていたら、
まだまだ終わりません、汗

しかも深刻度が更に増して行くので、
この話、ひきこもりの解決にちゃんと繋がるのか?!
となりそうです。汗

その後、進学したもののすぐに再び訪れた不登校、高卒認定試験、アニメーターを目指し専門学校へ、アニメーターとして就職、統合失調症発症、入院生活、ひきこもりからの脱却、へと続きます。

そんな日々の中で、私の中で変化した意識などについても書いていこうと思います。

本当に、よくぞ現在のような、明るい日常生活へ戻って来れたもんだと思います。

動き出すために

娘が守るべき弱い存在として、不登校とほぼ同時に我が家に迎えたペットには、家族全員癒やされました。(後日詳しくご紹介)

そして心療内科の先生からお勧めされたように、1年後、本当に私は娘や夫と距離を空け風通しを良くすることを目的に、短い期間だけでも部屋を借りる決意をしました。

体当たりのあれこれの、どこからが功を奏したのかはわかりません。
ただ、それが私自身の心の問題の解決にまで繋がって、徐々に良い歯車となって噛み合って行った気がします。

今日は、結論のない文章でごめんなさい。

宜しければ、不登校・ひきこもりの解決の軸になった考え方の変化(マガジン1〜4)を読んでいただければと思います😊

思い出しながらまた書きますね。

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