花見のするための花がない

花が散った。
花見をする間もなく花が散った。
満開の桜は例年通りなら運転中の窓ガラスにその花びらを散らしているところだった。

しかし生憎の雨だった。それも強風も伴う花散らしの雨だった。

いつの間にか花は散り、梅干しのような赤い部分だけが残った。
これは最近知ったことなのだが、桜の開花には二種類あり、一つは花が咲き始めた頃の白く透き通った瑞々しい桜で、二つ目は花が終わりに近づき芯が赤くなった桜だそうだ。これは桜の老化現象でアントシアニンの増加によって引き起こされるそうだが、死の間際に新たに色づくというのもロマンチックである。

思えば桜ほどロマンチックな植物もない。寒さを耐えてようやく花を咲かせるところには忍耐強さ、その少ない開花時間や散り様には儚さを感じさせるし、入学や卒業、入社や退社といった人生の節目に咲くのもドラマチックである。日本人であれば何かしら桜に思い入れがあるのだろう。国花であることからも特別な花であることはうかがえる。

それなのに私は最近花見をしていない。
普通に生きていくだけでも精一杯でとても花を見る余裕なんてなかったのかもしれない。そうして四季を忘れていき、ネットの中で生きていく…それじゃあいかんと思い直した。今年こそはと思っていたのに、花は散っていた。

とても焦った。人は何かが叶わないと知った時にはじめて焦り始めてしまう。そして大したことないころでも何とかして叶えようとしてしまう。
(最近ではバレンタインのチョコ缶が完売となって焦りだし、新刊が完売になってから焦りだしたといった具合)

自分は何とかして満開の桜を見ようと思った。それで自宅から歩いて桜を探す度に出たのだ。いつもの花見スポットではもう終わっているからなるべく知らない道を歩いて行った。来た事もない川の渡ったことのない橋、そこから満開の桜が見えた。そして知らない路地を歩いていきとうとう見つけたと思ったら、そこは私有地だった。塀だけが残された家だった場所。そこの広い庭にぽつんと大樹が佇んでいる。

近くの川の氾濫があったから家を潰して引っ越したのだろうか?それにしても見る人のいない桜というものは寂しい。昔誰かが植えた桜である。きっと様々な思い入れがあったに違いない。

しかし同時にこうも考えた。自宅に桜があったら家で花見ができるなと。
ちょうど庭は母と一緒にあらゆる木を切ったり削いだり植え直したりしてスペースがあった。近くのホームセンターに行ってみれば、まだ咲きかけの桜が売られている。

なんで思いつかなかったんだろう…家に桜があれば強制的に毎日が花見になることを…ゆくゆくは成長し玄関を見下ろすようになったらしめたもんである。

これは今朝の桜の様子

どうしてみんな庭に桜の木を埋めないのだろうか……
庭に桜の木があったらハッピーな気分になれるのではないだろうか?
みんな桜の木は好きなはずだ。それなのに桜を植えている家は少ない

何か理由があるのではないか………

えっ????????????????????????

は?????????????????????????????

毛虫????????????????????????????????

次回、毛虫退治(出た場合)お楽しみに!!!!!!!!


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