前川佐美雄『植物祭』

遠いところでわれを褒めてる美しいけものらがあり昼寝をさせる

前川佐美雄『植物祭』


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ずっと前に、いいなあと憧れた歌だった。自分を卑下せず信頼していて、それでもどこか決定的に自分のことを諦めているような歌。ひとのもののようにながながと自分の髪を梳き安らいでいるみたいな歌。このくらいのスタンスだから見えるものがきっとあるのではないかなあと思う。『植物祭』を読む会がありあらためて読んだものの読み流してしまっていたところ、人が挙げてくれたためふたたび出会えた歌だった。

「かなしみを締めあげることに人間のちからを盡して夜もねむれず」からはじまる『植物祭』では、自分がどうしてか生きてここにいて逃れられないもの、信じられないもの、疑い抜きたいもの、認めたくないもののことを人間と言い人と言い、かなしみや、ざわめきや直観の力のことが語られようとしていた。できるだけわたしは透明になって、かなしみ、自然物のざわめき、得体の知れない知的な力に近づきたかったし信じてみたかった、わかりたかった。ない世界へ否定に否定を重ねながらにじり寄る姿や、ほんとうはなにも持ち合わせないつまらぬものであるわたし自身を逃れようとする姿を刻みつけたような、いやな、さみしい、べっとりするような、からっと乾いたような、不思議な感触ばかりが残る。さまざまな病いのパターンを読んでいるような気持ちにもさせられた。

後半の歌はとくに危うい感覚のまま書かれたような歌が並ぶ。あんまりに醜いというか、この拘りのつよい感じの意味がわからなくて(共感などしたくなくて)、無意識に読み流してしまったなと思う。やっと最後の章に、美しいひとつの、等身大の折り合い、妥協点が書き付けられているようにも思う。でもこの慰めの地にはどこか消化不良で深い悔いの感じが残る。大きな嘘を産んでしまったような気がして、その感じが長く残る。



人みながかなしみを泣く夜半なれば陰のやはらかに深めて行けり


階段のうらかはの下のテエブルにゆううつのかぎりのこの夜を眠れ


何を見ても何を聞いても我はまうながいこと生きて来たやうに思ふ


砂濱の日ざかりをいま海虫がくろぐろと這ふわれはわすれる




『前川佐美雄全集 第一巻 短歌』(砂子屋書房)



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