藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』(晶文社)

母親になってからは、生活がずっとすっきりした。何が優先するか、重要かということが明確になるから。ごたごた入り組んだ生活ではなくなったのね。子どもが第一、ということになるから。ということはね、子どもにとって明確に理解できる仕事しか引き受けないということを意味するわけ。わたしがする仕事が黒人のために役に立つ、と娘が考えることができれば引き受ける。


藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』(晶文社)



一部だけ引用することでやっぱりどうも違う感じに見えてしまうけれど。

『塩を食う女たち』というタイトルは、トニ・ケイド・バンバーラの長篇『塩喰う者たち』(The Salt Eaters)のタイトルからとられた。

「塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて傷を癒す者たちでもある。」とは、どうしてもむごい矛盾に満ち満ちたシステムのなかでしか生きて死んでゆけないということを経験し表現するための存在としての自分の、やはりある一部のことだと感じてしまうし、自分と付き合っていかねばならないと理解しようとするとき、どうしても教えてほしいと縋ってしまう法、秩序、美しさのことと思ってしまう。たとえば夜中に起きて脚をさすっているときなどに。

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