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不思議な話

今日は、私が体験した不思議な話を。

私は

私が生まれてすぐに両親が離婚したらしく

父親がどんな人かはほとんど知らない。

祖父がとても私を可愛がってくれて、私も祖父が大好きだった。

祖父の仕事がない時は、いつもどこかに連れて行ってくれたし

いつも一緒にいてくれた。

祖父が生きていた頃までの私の写真は沢山ある。写真が趣味だったようだ。


祖父は、活版印刷の仕事をしていたように記憶しているが

それも確かな記憶ではない。

とても美しい字を書く人で、表札などを頼まれて書いていたのは覚えている。

唯一、私が長続きした習い事が書道だったので

この辺は祖父の血を受け継いだ気がしてうれしい。


無口な人だった。

祖父がどんな人かと問われると

そんなことしか言えない。

私や他人には非常に温厚で、優しい人だったが

祖母は大変苦労していたらしい。

頑固で絶対に譲らない。

私以外の身内には厳しかったのである・・・(ワンマンだった)

例えば、仕事から帰宅して玄関先の履物が散らばっていたとする。

いきなりスイッチが入る。

玄関の真ん前の堤防に向かって、おもむろに靴を投げ始める。

もちろん無言W

全ての履物を投げ終わり、何にもなくなった玄関に

祖父は自分の革靴を綺麗に並べ、何もなかったように部屋へ行ってしまう。

本人はこれで解決したつもりだが

その後、祖母が堤防に上って履物を回収するのだW


私が5歳の時

祖父は急死した。まだ、50代半ばだった。

私は何にも受け入れられない反面

全てを受け入れた様な気がする。

棺桶に横たわる祖父の顔を見るために

何回も棺桶の覗き窓を開けたり閉めたりしていた。

寝ているようにも見えるので、小さな声で「おじいちゃん」と声をかけるけど

起きる気配はなかった。

「大事な人は急にいなくなる」

小さいながらにも私はそれを実感していた覚えがある。

死んだらいなくなるし、もう会えないし、抱っこもしてもらえない。

不思議な事に全然泣かなかった。

涙は、本当に悲しくてどうしようもない目にあった時

でない時もあるのだろう。


その後、私は20代で実家を出るのだが

祖父が亡くなってから10代後半までの間しょっちゅう不思議な事があった。

古い作りだった実家は

祖父が自力で改装、増築を繰り返す不思議な間取りだった。

洗面台がなく、台所の流しを使い顔を洗い、歯を磨いた。


顔を洗っている時というのは

目をふさいでいるので、何にも見る事は出来ない。

その時に、必ず近づいてくる気配がするのだった。

それは、決まって玄関の方からやってくる。

居間を抜けて、ダイニングを通り過ぎ

台所におりる為の階段3段を

ゆっくりとやってくる気配がするのだ。

古い木造家屋なので、ミシミシと音がする。


私の右側でその気配が止まり

じっと見ているような感じなのである。

嫌な感じは全くない。

始めは「何、何??」

って怖かったが何回か目で慣れたW

何もされないので

「はい来た来た~」という感じで

気配がない時には「あれ?どした?」という感じだった。

毎日必ず来るわけではない。


19歳の頃

それまでの人生で一番辛い事があった。

毎日泣いていたW

抜け殻で仕事に何とか行き、残ったパワーを振り絞り

帰宅するとただただ、だらしなく泣いてばかりいた。

人間の体からは、こんなに限りなく涙が出るんだと呆れたが

数か月そんな生活は続いた。


その頃は、不思議な気配はよく出没していた。

朝も夜も。

あまりに出没するので

おじいちゃんではないか?と思えてきた。

気が狂うのではないか?という位、泣き暮らしていたので

本気で心配だったのではなかろうか。


その頃、私を本当に愛してくれて

本気で心配してくれたであろう人は

祖父しかいないからだ。


死んだら何にもなくなるのが私の理想だ。

ただ、消滅したい。


不思議な気配は、私が生み出したのかもしれないし

祖父が私の様子をうかがいに来たのかもしれない。


生まれ変わらなくていいから

祖父には

あの世で再び

堤防に向かって無言で

玄関先に散らばった履物を投げまくっていて欲しい。

で、ばあちゃんは「もおっ!」といいながら

堤防に散乱した履物を拾い集めていて欲しい。


運命の人と出会っても

一緒にいられないのが私の生き様であり

とにかく波乱万丈であるのも私らしい。


今は、なかなか祖父は出てきてくれないが

それは

私が自分で

何とかやっていけるだろうと思ってくれているのかなぁと思う45歳です。





























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