見出し画像

才能が無い場合、回数で勝負!

高2の時、1年間の交換留学で英語に挫折

公立高校の受験に失敗し、失意の中、いやいや通うことになった大阪の私立男子校。

こんなに若く人生で挫折を味わうなんて、想像もしてなかったが、まだまだ先も長いし、どこかで挽回したいなー、などとボンヤリ考えていた。

この男子校には当時(1980年代)には珍しくアメリカの高校いくつかと交換留学制度を持っていた。と言っても狭き門で、全校生徒約2400人の中で選抜されるのは年に4人だけ。

ほぼ選抜されるのは不可能というか、よっぽど英語が上手とかスポーツ万能とか、特殊な能力が無いと難しいだろうと誰もが思っていた。

それが、まさか、高2の時に応募して自分が選抜され、1985年の8月から1年間、アメリカはワシントン州の高校に交換留学生として派遣されることになったのだ。

英語の語学力の中の上ぐらいで、帰国子女レベルとか比べると赤ちゃんレベルの英語力で、本当に大丈夫か?と自分でも思ったが、せっかく頂いたチャンス。生まれつきのビビリな性格のため、ハッキリ言って恐怖心の方が大きかったが、清水の舞台から飛び降りるつもりで行くことにした。

1年間、自分なりに出来る限り、英語で友達やホストファミリー、先生方と会話を頑張った。しかし、結果的に1年後、日本に帰国する頃の自分の英語でも会話力は『留学前に毛が生えた程度』だった。

もちろん、少しの間は英語で会話は継続できる。しかし、『自分の言いたいことを言う』『相手に自分が聞きたいことを尋ねる』という会話の基本中の基本が出来なかった。常に会話の内容に妥協して、『話せること、聞けることの範囲内で会話する』と言うレベルだった。

これは、ハッキリ言って自分でも納得が行ってなかった。もっと英語が上達して帰ってくるものだと自分に期待してた。

これは、挫折に近いものがあった。

大学、社会人でも英語の会話に挫折

大学生になり、高2の留学の成果を無駄にしないように英語は頑張って勉強した。しかし、大阪のクラブやバーで出会う外国人に話しかけても思うように会話が続かない。

社会人になり東京配属。腕試しとばかりに六本木に繰り出し、外国人が集うバーで片っ端から英語で話しかけるが、全然会話にならない。

もう、この挫折感は半端なかった。もう一生、自分は英語を使わないまま人生が終わっていくものだと確信してしまった。

20年後、脱サラして始めたカフェで英語が復活

2008年に脱サラして奈良市で始めたカフェ。

奈良も国際的にまぁまぁ有名な観光地なので、月に1組、2組という程度で外国人観光客が来ることはあった。まだまだインバウンドブーム前なので。英語で会話を試すと、意外と20年以上経っても少しは覚えていて嬉しかった。

その後、ひょんなキッカケで無料民泊の『カウチサーフィン』を始めることになる。2012年から2014年の2年ぐらい。世界中60ヶ国から200人ぐらいの方を無料で泊めることになった。大体平均2泊ぐらい。

これを時間数に直すと、200人×6時間×2日=2400時間。24時間で割ると、100日間、ずーっと24時間話し続けるぐらいの長さになる。

これで、自分の英語が一気に上達した。45歳ぐらいの時である。

更に観光ガイドを初めて英語力が爆上がり

その後またまた、ひょんなご縁からAirbnbのサイクリングガイドの仕事を始めることになった。こちらは2018-2019年の2年間で1000ツアー、約2000人を案内した。

これを時間数に直すと、1000ツアー×3時間=3000時間。24時間で割ると、125日間、ずーっと24時間話し続けるぐらいの長さになる。

もう、この2年間を終わる頃には、高2で留学してた時と比べ物にならないぐらい英語がスラスラと流暢に話せるようになっていた。

才能が無い場合、回数で勝負!時間数で勝負!

英語でも何でも、才能のある人、センスのある人は、そんなに時間をかけなくても、回数をこなさなくても上達したり、習得できると思う。

しかし、僕みたいにセンスも才能もない人間は、ひたすら回数を重ね、時間数をかけるしかないと思う。それ以外の近道は見当たらない。

逆を言うと、回数を重ねれば、時間数さえかければ、誰でも上達する、習得出来る、とも言い換えられる。

僕は、英語以外にも習得したいスキルや、成し遂げたいことが色々とあり頑張っているのだが、センスも才能もないので結構しんどい思いをしている。

しかし、この歳(イマ54歳)で人生史上、英語がますます上達している現状を考えると、他のことでも回数を重ねれば、時間数さえかければ、誰でも上達する、習得出来る、ような気がしている。

引き続き、頑張り続けるしか、ないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?