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必要なのは、特別な存在にしないための「特別な支援」

今年5月、ニューヨークへ行ってきた。そこで感じた「心地よい無関心」はとても嬉しく感じた。

そこには、障害者は多様性の中の1人であって、特別な存在でも弱者でもない。困っている人がいれば助けよう、そんなシンプルな考え方があったから。

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ではなぜアメリカにあるその「心地よさ」を日本で感じることができないのか、その理由を探ってみると、アメリカの特別支援教育のあり方にたどり着いた。
 
アメリカでは障害のある子も、ない子も一緒に地域の学校に通うことが理想的と考えられている。理由は、お互いに良い影響を与えるから。

みんなと一緒を実現するために障害のある子は経済的な負担なく、1人ひとりのニーズに対応した教育プランを利用することができる。また、スロープやエレベーターの設置、必要な教材やコンピューター、ICTなどの機器の提供など、バリアフリーな環境も用意される。

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そんな「特別」な支援が、障害のある子も障害のない子も一緒に地域の学校に通い、同じ教室で一緒に学ぶことを可能にしている。幼い頃から障害のある子がいつも近くにいる環境があるから、サポートを受けている姿を見ても、それも1つの個性だと早いうちから理解することができるようになる。
  
子どもの頃からみんなと一緒に過ごすという経験が、弱者と強者ではなく、互いを認め合い、助け合い、関わりあえる関係を築き、それが心地のよい無関心に繋がっているのではないのか。

答えを見つけた気がした。

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とはいえ、アメリカと比べて日本の状況を悲観しているわけではない。実際に日本でも障害の有無にかかわらず多様な子どもたちが一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」が推進され、様々な取り組みが行われている。

ただ残念に思うことは、障害のある子は特別として特別扱いされがちであること。本当に必要とされるのは、「特別扱い」ではなく、あたり前にみんなと一緒に学び、一緒に過ごす、そう、特別な存在にしないための「特別な支援」である。
 
日本の社会にダイバーシティやインクルーシブを根付かせるためには、未来社会をつくる子どもたちが、障害がある子も、ない子もみんなと一緒に過ごせる環境をつくることが何よりも大切なことだと、確信できた。

困っている人がいたら助ける、ここに立ち返って考えてみると、まだまだできることがたくさんあるように思える。

この気づきを活かしていきたい。

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