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モヤモヤが晴れた言葉

個人事業主になって4ヶ月ほど経った頃のお話です。

知人に、ナレーションを仕事にしていると報告した際言われた

「受注して仕事するというレッドオーシャンにずっといるのもいいけど、それ以外の仕事つまりナレーション自体をアップデートするといいかもね」

という言葉がずっと頭から離れず、

ナレーターとして、言葉を紡ぐことを軸として、原稿をいただいて読むスタイル以外に何ができるだろうか?

とぐるぐる考えていた時期がありました。

将来なりたい像はイメージできるものの、そこへのアプローチは曖昧でした。思い描いても、

果たしてそれは本当に自分のやりたいことなのか?

と疑問に思ってしまい、自分のやっていることややりたいことに疑心暗鬼してしまう時期がありました。

そんな時。師匠であるKさんと話していてハッとしたこと。

ふとした景色をためておく。人の様子を観察する。そんな些細なことがナレーションのふとした一場面に生きてくる。現代の人は写真をすぐ撮ってあとで味合おうとするけど我々はそれではいけない。その場でしっかり味わって心に残す。食事も同じだね。絶対に写真は撮らないよ。視聴者はそういうことをする必要はないと思うよ。でもね、我々はそれではいけない。

ちょうど、多摩川の中洲と左端に映る高層ビルのコントラストを眺めている時でした。

ハッとしました。

私は、自分の仕事にきちんと向き合っていなかったなと気が付いたんです。

時代の流れがますます早くなり、変化しないと生き残れない、これまでのままではいけない、自分にも何か付加価値を、と少し焦っていた自分に気がつきました。

ナレーターは表現者。

私たちの仕事は、視聴者に非日常を感じてもらい、時には涙したり笑ったりホッとしたり、そんな瞬間を提供すること。

一番大切なことがポロリと抜けて、うーーーんと先のことを考えすぎていました。

だから、自然も最近見てなかったな。感性を大事にしていなかったな。そんなことも感じました。

自分の仕事に向き合っていない!のに、よそ見ばかりしている!

そんなかっこ悪いことありませんよね。

ここのところ、ダサい自分だったなと猛省しました。

ビジョンを持っていれば、やることも明確に、かつそのビジョンに近い仕事や人と出逢うもの。

とも言ってくださったKさん。

そうだそうだそうだ。邪念や雑念は捨てよう。頭の中の黒雲が、すぅーっと掃けていくのを感じました。

他の人がどうとか、時代がどうとか関係ない。自分の信念を持ってビジョンを持って、まっすぐ「仕事」に向き合う。

きっと、そういう人はどんな時代でも活躍していくんだと思います。

さて!

ダサい自分とは今日でサヨナラ。また気持ちを新たに頑張ります。

みなさんは、どんな今日を過ごされましたか?色々悩むことも落ち込むこともあると思いますが、お互い、前を向いてがんばりましょうね。

今日もお読みいただきありがとうございました。それでは、また。

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