「渡る世間は鬼ばかり 第1シリーズ(橋田壽賀子ドラマ)」のU-NEXTでの視聴

(1).「渡る世間は鬼ばかり 第1シリーズ(橋田壽賀子ドラマ)」のU-NEXTでの視聴

〉〉〉:Linux LibreOffice: 2023-10-01 11:08:29 〉〉〉

- 再生 | U-NEXT https://video.unext.jp/play/SID0003630/ED00033126?ps=3

 ブラウザのタブでページを開いたままにしていますが、第17回となっています。寝ている間に再生が進み、いくつか飛んでいるはずですが、どこまで視聴していたのかまだ確認していません。

 ページタイトルの取得が困難ですが、「渡る世間は鬼ばかり 第1シリーズ(橋田壽賀子ドラマ)」となっています。


 どうも9月25日のポストで第14回の途中までは視聴をしているようですが、ちょうどその辺りから視聴を中断しています。

 U-NEXTでの視聴開始は9月15日の可能性が高そうです。一つ前が9月6日のツイートで、その前が2021年4月5日のリツイート2件、ツイート1件で、橋田壽賀子さんの訃報のニュースがあります。

 「渡る世間は鬼ばかり」という印象的なタイトルのテレビドラマですが、2004年11月から2009年3月の間、羽咋市のアパートに住んでいる頃に少し観たという記憶があるだけで、ネットで調べて平成2年から始まっていたと知ったときはけっこう意外でした。

 昭和の時代からあったテレビドラマにも思えたのですが、ほとんどみる機会がなかったように思えます。U-NEXTの視聴では、それと思われる3歳ぐらいの「えなりかずき」が出てきますが、テレビでみたと記憶にあるのは高校生ぐらいの姿であったように思います。

 ちょうどなにか問題を起こして、批判のやりだまになっていたような記憶があり、それがドラマの場面とも重なった記憶となっています。

2007年4月11日付日刊ゲンダイでの記事に、えなりは事実無根とし名誉毀損として約1100万円の損害賠償と謝罪記事の掲載を求めて東京地裁に提訴し半年後に和解した。日刊ゲンダイは記事は全て捏造であったと認め「本紙2007年4月11号に掲載したえなりかずき氏に関する記事で、同氏の発言として報じた部分及び 同氏支援者が同氏を接待する方法について述べた部分は、いずれも事実に基づかないものでした。 この記事により、同氏の名誉を侵害し、同氏に多大なご迷惑をおかけしたことを謹んでお詫びいたします」と10月7日付で謝罪した。

 スキャンダルの内容がまったく思い出せなかったのですが、上記の引用部分を読んで、風俗通いの問題だったように思い出しました。

「慰謝料の額は申し上げられない」
   いわば、記事の内容を全面的に否定する内容で、「白旗」を掲げたも同然だ。一体何があったのか。
   えなりさんの所属事務所、ジェーディーエスによると、裁判所側から「先方が謝っているので、和解をしてはどうか」と和解勧告があり、これをえなりさん側が受け入れ、訴訟を取り下げたのだという。
   代理人の弘中惇一郎弁護士によると、謝罪広告は和解条項の一部だといい、慰謝料の支払いも条件に含まれるが、

 そういえば、以前に少し見かけていたような気もしたのですが、弘中惇一郎弁護士の名前が出てきました。

 

 9月27日に3件のポスト、9月23日に1件のリツイートと1件のポストがあるだけで、それ以前のポストやツイートは存在しないようです。

 意外に情報量が少ないWikipediaのページですが、「えなりかずき」のページ内検索は該当なしでした。

代表弁護士
弘中 惇一郎 HIRONAKA Junichiro
学歴
1964年  私立修道高等学校(広島県)卒業
1968年  東京大学法学部卒業
1970年  最高裁判所司法研修所修了(22期)
経歴
1970年  弁護士登録、堂野法律事務所入所
1980年  霞ヶ関総合法律事務所開設
1997年  ミネルバ法律事務所開設
2004年  法律事務所ヒロナカ開設
所属
東京弁護士会
主要な出版物
「芸能人などの有名人と名誉・プライバシー」マスコミと人権(1987年、三省堂)
「検証医療事故」(1990年、有斐閣)
「刑事裁判と知る権利」(1994年、三省堂)
「コンメンタール刑事確定訴訟記録法」(1999年、現代人文社)
「薬害エイズ事件の真実」(2008年、現代人文社)
「無罪請負人 刑事弁護とは何か?」(2014年、角川書店)
「生涯弁護人 事件ファイル1・2」(2021年、講談社)
弁護士
村山 浩昭 MURAYAMA Hiroaki
学歴
1975年  都立小山台高校卒業
1981年  東京大学法学部卒業
1983年  最高裁判所司法研修所修了(35期)
経歴
1983年  大阪地裁判事補任官
1985年  富山地家裁判事補
1988年  福島地家裁郡山支部判事補
1991年  東京地裁判事補
1993年  東京地裁判事任官
1994年  長野地家裁諏訪支部長
1998年  東京地裁判事
2001年  オーストラリア在外研究
2002年  福島地家裁いわき支部長
2006年  東京高裁判事
2008年  東京地裁部総括判事
2012年  静岡地裁部総括判事
2014年  盛岡地家裁所長
2015年  名古屋高裁部総括判事
2017年  大阪高裁部総括判事
2021年  定年退官
2022年  弁護士法人法律事務所ヒロナカ入所
所属
東京弁護士会
所属学会等
日本刑法学会
法と心理学会
日弁連再審法改正実現本部委員
NPO法人「刑事司法及び少年司法に関する教育・学術研究推進センター」理事
論文等
「再審請求審の審理について」成文堂「刑事法ジャーナル66号」(2020年)所収
「自白の任意性」日本評論社「刑事訴訟法における学説と実務」(2018年)所収
「医療観察事件(裁判の立場から)」成文堂「刑事手続きの新展開」上巻(2017年)所収
「勾留執行停止中の被疑者の逃亡を防ぐ措置」別冊判例タイムズ34号「令状に関する理論と実務Ⅰ」(2012年)所収
「裁判員裁判の評議について」立花書房「現代刑事法の諸問題」第三巻(2011年)所収
「損害賠償基準等の意義」青林書院「新・裁判実務大系5交通損害訴訟法」(2003年)所収
「不法残留外国人の逸失利益の算定等について」判例タイムズ社「人身賠償・補償研究」第5巻(2002年)所収
民事交通事故訴訟「損害賠償算定基準」(いわゆる「赤い本」)1999年版から2002年版の講演会の各講演録
 「保険料差額は賠償請求できるか」(1999年)
 「後遺障害発生後死亡事案の逸失利益」(2000年)
 「異時衝突事故により修理代の合計額が車両価格を超えた場合の損害額」(2001年)
 「事故後の親族関係の異動と生活費控除率等への影響」(2002年)

 村山浩昭という名前は裁判長として見た覚えがあると思ったのですが、2021年に定年退官、2022年に弁護士法人法律事務所ヒロナカ入所とあります。

 どんな刑事裁判に関与していたのか思い出せないですが、ひところ、「村上コート」という言葉をネットで見かけていた気がします。

- 2023年10月01日13時21分の登録: REGEXP:”村山浩昭”/データベース登録済みツイートの検索:2014-03-27〜2023-03-28/2023年10月01日13時20分の記録:ユーザ・投稿:105/206件 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/10/regexp2014-03-272023-03.html

- 2023年10月01日13時22分の登録: H3DB_search_”村山浩昭”_(該当件数:44/データベース登録数:669,647) _2023-10-01_132240の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/10/h3dbsearch44669647-2023-10-01132240.html

- 2023年10月01日13時23分の登録: H3DB_search_”村山コート”_(該当件数:11/データベース登録数:669,647) _2023-10-01_132332の記録 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/10/h3dbsearch11669647-2023-10-01132332.html

- 2023年10月01日13時23分の登録: REGEXP:”村山コート”/データベース登録済みツイートの検索:2013-12-03〜2019-12-17/2023年10月01日13時22分の記録:ユーザ・投稿:7/18件 https://kk2020-09.blogspot.com/2023/10/regexp2013-12-032019-12.html

一昨日(11月28日)、控訴審逆転有罪判決を受けた藤井美濃加茂市長から、「判決要旨を入手して有罪判決について詳しく議会に説明するようにと強く要請されている」との連絡を受け、再三にわたって、名古屋高裁刑事2部の担当書記官に、「判決要旨」を交付してもらえるよう要請したが、「『判決謄本』ができるまで待ってほしい。弁護人には判決要旨は渡せない」との回答。それが、村山浩昭裁判長の方針なのだろう。
だが、判決言渡しの直後に、60頁以上に及ぶ判決要旨がマスコミに配布されており、美濃加茂市の担当記者は、みなその要旨を読んで取材している。いろいろコメントを求めてくる。ところが、当事者である藤井市長も、市民の代表が集まる市議会も、その判決要旨を入手できていなかった。

村山 浩昭(むらやま ひろあき、1956年12月21日 - )は、日本の弁護士、元裁判官[1][2]。2017年(平成29年)9月30日より大阪高等裁判所部総括判事を務める[2]。2021年(令和3年)12月21日に定年退官[2]。
裁判官としては、冤罪の可能性が高い袴田事件について2014年(平成26年)、静岡地方裁判所で裁判長として、物証が捏造された可能性が高いと指摘して再審開始と被告釈放の決定を出した[1]ことなどで知られる(後述)。

 袴田事件で最近も名前やお顔をみていた元裁判官だとわかりましたが、藤井美濃加茂市長事件の控訴審の裁判長というのは意外に感じました。藤井美濃加茂市長本人が法廷にいるのに、まったく尋問をしないで逆転有罪の判決を出したらしく、それがとても強く印象に残る裁判官でしたが、他に著名な刑事裁判に関わっているということは知っていたものの人物像が一致しませんでした。

 2023年と2022年のツイートやポストに弘中惇一郎弁護士に関連したワードは見当たらず、弘中惇一郎弁護士の法律事務所に入所していたことは今日まで知らずにいたようです。

2012年に静岡地裁に赴任した村山元裁判長は「袴田事件」の再審に着手。検察に対して“証拠開示”を勧告しました。これにより開示された証拠の数は約600点にのぼります。再審についての審理では証拠の開示に法的な義務はなく、弁護側が請求しても有罪を維持したい検察は応じず、年月ばかりが経過するのが常でした。この時は村山裁判長らが検察に勧告したことで多くの証拠が開示され、袴田さんの再審開始につながりました。
しかし、検察がこれに不服を申し立てる「抗告」を行い、4年後、東京高裁は審理の末、「村山決定」を取り消しました。その後も審理が続き、2023年3月、東京高裁が自らの判断を覆し、再び再審を決めます。この直後注目されたのが、検察がまたしても抗告をするのかどうか。村山さんが「袴田事件」について初めて公の場で話したのはこのタイミング。検察に抗告をしないようけん制しました。

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