父親

コロナ渦が続く中、迷いに迷ったが、父親に会いに実家に帰ることにした。
離婚から始まり、書くことが憚られるくらい色々と問題を起こしてくれた父親だが、この歳になると、まあまあ全部許せる気になる。

そして母親もそうだったが、生きているうちに話しておきたいこともある。
心臓に持病を持っていて、かなりの高齢になる父、コロナに感染すれば、ほぼ間違いなくお迎えがきてしまうと思う。

僕が会いたい!というだけで帰省することはできない。
頑固親父だが、僕が帰省すると言ったら、No!とは言わない、言えない父だと思う。
と、いうことで、ちょっと探りを入れてみた。
「浜松で仕事が入ったから、ついでに岐阜にも寄ろうかどうか迷っている」と電話してみた。
「スガキヤの半額券もあるし、いつ来るんだ?一緒に食べに行こう」と言ってくれた。

帰省して、父親と面と向って、「正直帰ってくるかどうか迷ったんだよ、多分大丈夫だと思うけど、もし僕がコロナを持って帰ってきたらオヤジほぼほぼ天国行きだから」。

「この歳まで生きられれば十分だよ、コロナだけじゃなく人の人生は運命的なもので、一生懸命安全に生活している人でも死ぬときは死んじゃうもんだよ」と。

まあ、オヤジらしい言い方だと思う。
若い頃から、僕が何か危険なことをする時、駄目だ!と言われたことは一度もない。
小学校6年生でママチャリで京都に行く!と言い出した時も、「人様に迷惑だけかかるな、自分で責任取れる範囲なら何をやってもいい」と言われた。

バイクの免許を取って64日目で冬の北海道に行く時も、バイクでレースを始めた時も、勿論、戦場カメラマンになった時も、一度も反対されたことはなかった。
父親の言葉「人様に迷惑だけかかるな、自分で責任取れる範囲なら何をやってもいい」これは僕の中でとても重い言葉として今でも残っている。
色々あった父親だが、親の仕事は木の上に立って見守ること!と一貫していて、今思えば、心配だったのに、「お〜生きて帰ってきたか〜」と平然を装ってくれた父親に感謝している。
もし、自分に息子ができたら、同じことをしてやりたいと思う。

450キロ離れて住んでいる父親。
あと何回会えるか分からない、なんで離婚しちゃったの?なんで借金作っちゃったの?と聞きたかったが、、聞けなかった。
頑固なくせにお人好しな父親。色々あったんだろう。
気にはなるけど、永遠の謎となってしまう気がする。


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