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闇に咲く花を観劇しました


2023年9月13日「闇に咲く花」の大千穐楽を博多キャナルシティ劇場で観劇して参りました。

念願のこまつ座の舞台

私が、演劇というものを初めて面白いなと感じた舞台は、おそらく学生時代にテレビで見た「頭痛肩こり樋口一葉」でした。日本の立派な女流文学者のイメージだった樋口一葉が、この舞台ではとても可愛らしく、庶民的な駄菓子屋のお姉さんとして描かれていたので、一気に親しみを持てた記憶があります。

今回の「闇に咲く花」はそれと同じ、井上ひさし作、及びこまつ座の舞台。そしてさらに、大好きな松下洸平さんが出演されるということで、是が非でも見たかった。そして締めの大千穐楽を5年ぶりに訪れた福岡で観ることができて、本当によかったと感じています。

昭和庶民伝だからこそ、主役は観る人の判断

闇に咲く花は、きらめく星座、雪やこんこんとともに、こまつ座の昭和庶民伝3部作とされ、共に何度も再演されている名作だそうです。今回、この舞台を見て感じたのは、どの登場人物にも存在感があり魅力的で、いったい誰が主役だったんだろう?ということでした。恐らく、主役は公麿さんではないかとは思うんですが、見方によっては健太郎でもあり、5人の未亡人のようでもあり、稲垣や鈴木巡査のようでもある。観る人それぞれが決めていいのかな?とも思います。それくらい、それぞれの個性が際立って見えました。

物語を左右するのはお面?

闇に咲く花の舞台は「愛敬稲荷神社」という、お面工場を併設した小さな神社です。

この物語の中には、「妊婦と偽ってヤミ米をお腹に隠して持ち帰る」など、冒頭からいくつかの「騙し」のエピソードが登場しますが、稲荷神社の御神体は「狐」であり、昔話などではよく人を騙す動物として登場します、そして、多分、騙しがうまくいく時には狐の面があったような?

そして、稲垣と健太郎が戦地から帰った時は野球選手のお面だったり、反対に騙される時には天狗のお面がやたら目だっていたり。これは、偶然かもしれませんが、もし意図があって置かれているならすごいなと思いました。

無垢な健太郎の神がかった美しさ

私にとっての主演は誰か?公麿さんなんだろうな?と思いながらもやはり、健太郎だったかもしれないです。

舞台に登場した時から、健太郎の佇まいは27歳とは思えないほど無垢で爽やかでしたが、例えば稲垣と比べても戦地から帰ってきた人とは思えないほど小綺麗で、同時に幽玄なオーラを纏っているように私は感じました。

被っていた野球帽を取ると、(最愛の大輝くらいの)短髪で、隙あらば野球ボールを投げている無邪気な「野球少年」でした。稲垣によると学生時代はノーコンピッチャー。でも投げる球はとにかく速い。でもその速球が実は彼の運命をゆるがす事件を起こしていた…。

記憶障害を患ってからは、稲荷神社をとりまく人たちだけでなく、見ているすべての人に「守りたい」と思わせる風貌、話し方、存在感…。舞台上には普段テレビで見ている松下洸平さんというよりは、何か神がかって見える「健太郎」がいました。

健太郎はもしかして、狐の化身だったのか?「騙し」のエピソードと共に、愛敬稲荷神社を守るため、神社本来のあるべき姿を公麿さんに伝えるため戻ってきたのかな。などと考えたりもしました。

1回しか見ていないので、確認できないのですが、神社の狐の御神体と、健太郎は同時に舞台にいたか?
今度放送されたら確かめてみたいと思っています。

舞台にはいない。でも確かに見える

舞台の演出で、私が素晴らしいなと思ったのは、精神疾患を患った健太郎があたかもそこにいるように、登場人物が話しかけるシーンです。杉の木の根元に座り込み、日がな一日何をするでもなくそこにいる健太郎。きっと表情はなく、目は宙を浮いているのだろう。実際舞台にはいないのだけど、なんだか、そんな(美しい)健太郎が見えるのです。そこは、上質なセリフと演者の巧みさ。5人のお面工場の未亡人たちの家族や、鈴木巡査の妻にしても、出てきてないのに、なんとなく顔が思い浮かぶ。それができるのが、良質な演劇の基準のように私は常々思っているんですけど、闇に咲く花にはまさにそれがありました。


 
推しだけにこだわらない見方ができた!

この公演は東京、名古屋、大阪、博多で上演され
松下洸平さんのファンの方の多くが、東京と大阪など、複数回観られ、SNSなどで詳細なレポートをされています。最後の最後一回だけ鑑賞する私は羨ましくもありました。でも、大千穐楽を選んだのは、我ながらいい選択だったのではないかと思っています。

きっとこれまで上演された公演の集大成。なので、その一回は一瞬でも見逃したくない。「すべてのキャストのお芝居をすべて平等に見て体感したい。」そんな心構えだったつもりですが、やっぱり
一番目がいくのが健太郎さんだったのは否めません。でも、登場人物のどの人も魅力的だったのは本当で、特に鈴木巡査が人間臭くて大好きでした。

カーテンコールは口上ゆずりあい?

 大千穐楽のカーテンコールは、おそらく5回(以上?)2回目からはキャストの方々の口上がありました。

最初の口上は山西さん。これまでの公演の成功のお礼と、誰も欠けず公演を続けられたことの感謝を述べられました。その次は洸平くんかな?と思えば、浅利くんに譲り、「俺?」という表情をしていた浅利くん。自分の生まれた年に初演だというのが感慨深いと言われていました。次はさすがに洸平くんだなと思ったら、また誰かに振ろうとするので、業を煮やしたファン(?)の人が「洸平くん!」と呼びかけ、やっと話してくれて、やはり浅利くんと同じく自分の生まれた年から上演され続けている大事な作品だという話をして「次にバトンを渡して上演され続けるべき作品」だという話をしてくれました。最後ということもあり、なんだか舞台上の全員の役者さんが「やりきった!」という表情をしていて、見ていてとても清々しかったです。

闇に咲く花の初演は、1987年ということで、その頃は恐らくバブル期の少し手前。その当時、世界ではまだまだ戦争や飢餓など問題が山積みだったのに、日本は好景気に乗じてある意味浮かれていました。きっとあの頃の日本の状況に、これでいいのか?という、思いをこめ、この舞台は生まれたのだと思います。

ロシアのウクライナ進攻以降、世界中が不穏な空気に包まれている昨今、「忘れちゃだめだ。忘れたふりはなおいけない」という、この舞台の象徴的なセリフは、36年の時を超えた井上ひさしさんご本人からの強いメッセージのようで、今まさに受け取らなければならない言葉のようにも思いました。

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