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給食の思い出

給食を食べていたのは遥か昔のことで
記憶は夢の中のように朧だが幾つかの忘れがたきメニューがある。そのひとつが写真の「アップルシャーベット」だ。冷凍みかんはよく出たが「アップルシャーベット」は稀であった。半分に切ったりんごをそのまま凍らせただけのシンプルなデザートだ。今もどこかで売られていると聞き、探し求めているが今だに出会いはない。

「レモンドーナツ」というのも好きだった。飾り気のない素朴なドーナツだがレモンの香りが爽やかで、いくつでも食べられそうな気がする。
時は5年生の春。わたしは閃いた。
「給食委員」に立候補すれば
いくつものレモンドーナツを我がものにできるのではないか。恐ろしや、
5年生にして「汚職」を思いついた
のである。

「委員会」というのは他に
「保健委員会」や「図書委員会」が
あり、それまでの私は「緑化委員会」や「飼育委員会」で暇潰しをしていが、給食委員になってからは上を目指すようになった。委員会は縦社会であるから6年生が仕切るケースが多いが、私はやる気のない6年をぶっちぎり委員長の座を掴んだ。

が、これでもう私の天下だ!と特権を味わう暇もなく、私は日々の業務に忙殺された。まだ歩くのもおぼつかないのではないかと思われるような頼りない一年生の運搬を手伝い、続々と押し寄せる各クラスの交通整理をし、みんなの期待を裏切っておかずをこぼしてしまった子の心の痛みに寄り添い新たなおかずを工面する。

給食は給食のおばちゃんたちと食べるという特権があったが、特に何かを多めに貰えるということはなく、ただおばちゃんたちの人間関係や家庭環境に詳しくなるだけだった。

給食が終わるとまたガチャガチャと白い軍団が押し寄せ、阿鼻叫喚の交通地獄だ。私の好きなリンゴシャーベットもレモンドーナツも誰も残さない。ソフト麺も揚げパンの容器もスッカラカンだが、五目煮や酢の物は残っている。また来月の給食目標を「酢の物を食べよう」にしなくては。私も嫌いなのに。

当時はお残し厳禁のムードがあったので、昼休みや掃除の時間まで完食を迫られるという恐ろしい風習があった。
私もどちらかといえば食が細いほうだったのだが、天下の給食委員長が好き嫌いだの食べ切れないだの言えるわけがない。やむなく食べ続けた結果、コロコロしてきた。胃が大きくなったのか中学ぐらいまでコロコロし続けた。

思ったよりも重責だった給食委員長だったが、今となっては楽しい思い出である。翌年はヒラの放送委員になった。放送室でレコードをかけるだけの気楽な稼業だ。何事においても私はやっぱりヒラがいい。これからも張り切って無責任に生きていきたい。

#給食
#委員会

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