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SNSを「私的」に運用するのは、時代錯誤で無謀なこと

佐藤です。むかし、知人が、個人のLINEアカウントの名前を、
「○田○子 公式アカウント」
に設定していたんですよ。名前はてきとうです。
この「○田○子」さんは、個人事業主ではない。ブランドを持っているわけではないし、副業でものを売っているのでもない。シャレで、「個人名+公式アカウント」にしたんじゃないですかね。真意を聞かずに、おっかしーやーい、あはは、で流してしまったのですが、徴候的だったのかも。

ところで、個人のSNSが、すべて「○山○男 公式アカウント」になってると思いませんか。
まるで、企業の広報やIRの部署が、「わが社の商品を買ってくださる大切なお客様へ」とか「弊社に出資してくださる投資家の皆さまへ」と発信するようなことしか、つぶやかない。

投稿内容だけじゃなくて、「だれをフォローしているか」「どの投稿に対して、いいね等の反応をしたか」も、ガバナンスの視点を内在化し、自己コントロールしているように見受けられます。
企業が「反社会勢力と取引していませんよ」というのと同じノリ。万が一、たどられても恥ずかしくない投稿にしか、いいね等の反応を返しません。ピカピカ・つるつるの投稿にしか、目に見える反応をしません。ウルトラ・コンプライアンス!!
あ、反社会勢力との取引を擁護してるんじゃないですよ。こんな注記をしているところが、すでに悲しい。。

イメージでは、政治家のアカウント。
・だれだれさんとの会食にご招待いただき、たいへん有意義な意見交換ができました。だれだれさんの魅力的な人柄にふれ、不肖ワタクシ、決意を新たにしました。
みたいな、きれいに消毒されてつるつるの内容で、どこに出て行っても、出されても恥ずかしくないような、非の打ち所のないアカウントか、
・これこれは、それそれであるべきだ!
・だれだれは、やめろ!罪つぐなえ!

みたいに、強すぎる言葉で、世間一般に正義とされている?理念を叫んだり、瞬間沸騰して一転して暴力的で分からず屋になるか、
・ネコかわいい
・ラーメン、おいしい
という、庶民的な一面をみせるか、もしくはネタとして切り取って癒される、という画像とか活動報告をするか。

もはや、SNSに人間はいないんですね。

今日は、本を読みました。著者が歴史学者をなさっていたときからファンで、メンタルの不調をわずらったので、どういう距離感で読んだらいいか分からなくなって一時、離れたんですけど、いまも前にも増しておもしろかったです。
與那覇潤『過剰可視化社会 「見えすぎる」時代をどう生きるか』

與那覇潤さんが千葉雅也さんを引用するかたちで、ツイッターについて、「元々は思いついたアイディアをなんとなく口にし、相互にやり取りする中で修正を繰り返して作品に仕上げていく『アトリエ』であり、『変身』の場がツイッターだったのに、そうした性格が消えていった。むしろ完成しきった自分の思想や政治的な立場をポジション・トークのように披露し、ぶつかり合うだけの硬直した空間になってしまった」といいます。

千葉さんが同書の対談で、「複雑な解釈を交わしたり、批評し合ったりする社交性もまた、インターネットの定着に伴って平成期に消えていきましたね」ともいいました。

そうなんですよ。
なんでも世代論に回収するのはよくないですが、與那覇潤さんたちが使っていたので世代論を借りると、アラフォーのひとたちは、ネットで『変身』できる『アトリエ』の体験をしたから、SNSに対して、いまだに、あらぬ幻想がある。痛々しい回顧を捨て切れていない。
しかし、今日の「全個人 公式アカウント」と化した時代には、SNSに対する有効な行動って、
・巧みなマーケッターをめざし、自己をPRする
・SNSを辞める
の二者択一しか残ってないんです。

ぼくが大学で出会う二十歳前後の若者って、ネット・SNSが現在のすがたになってしまった後に物心がついた人たちです。
ネットに書き込むことを、「過当競争で、勝者ゼロ、メンタルがずたボロになる、必要悪のマーケティング地獄」だと捉えています。
ただし、「ホームページもない会社と、取引できないよ」という謎理論が、企業の財務担当でまかり通っているように、若者たちは、義務感としてアカウントを開設する。本当は、企業ホームページなんて、一瞬で誰でも作れるから、信頼性の根拠とならないはずなのだが。

ネット世界の過去を切り放し、冷静に現状のみを評価するなら、若者の距離感のほうが正解なんです。目が曇ってるのは、ぼくのほうだ。

で、そういうお前はどうするねん、という話なんですが、「SNSを私的運用するという、少数派の無謀な道をゆく」が答えです。

マーケティングの競争環境に、マジメに取り合うならば、
・ランチミーティングで発展的な情報交換を……
・政治や世間はこうあるべき……
・ネコかわいい、ラーメンうまそう……
の3つを織り交ぜながら、キラキラして、ギラギラして、ニヤニヤしないといけないと思うんですけど、それは、ノー・サンキュー。あたかも、まだツイッターが『変身』できる『アトリエ』だった時代のように、ネットを使っちゃおうと思ってます。この記事もソレです。

戦略としては、下の下です。へたくそです。そんな、突っ込まれる余地をさらすぐらいなら、黙っていたほうが千倍マシです。でも、いろいろ書きたくなっちゃうんだから、しょうがないじゃないですか。
これは開き直りです。
みんなが、スーツをきて黙ってうつむき、センスのよさをハンカチーフでほのめかし、ド正論を上品に述べる競争をしているときに、ひとりだけ裸踊りしているんだから、ただのバカですよね。でも、くり返しますけど、書きたくなっちゃうんで。

ぼくのSNS運用、noteの書きぶりは、時代錯誤です。少数派です。はやりの、政治的に正しい、擁護されるラベリングされた社会的属性や病名としてのマイノリティじゃないです。ダサいショースーハです。孤立するだけ、損をするだけ。死に損ないの蛮行です。爆死したら、笑って下さい。

ネットの息苦しさが耐えがたいなという方は、コンパクトな新書なので、こちらをどうぞ。著者が歴史学者で、時代の流れから現状を捉えるという視点をもっていておもしろいので、若いひともどうぞ。

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