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「学歴ロンダリング」肯定派/よその大学院に行こう

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。

「学歴ロンダリング」という言葉があります。俗語、スラングというよりは、もはや大学院生のあいだでは市民権を得た、正式な用語という気がします。日本語にしたら、「学歴を洗浄すること」でしょうか。

語源は知りませんけど、「マネーロンダリング」の派生形なのかも。犯罪などで手に入れた、足が付きそうな「汚い」お金を、何らかの方法で交換するなどして、足が付かなくする方法です。たとえば、銀行強盗をして得た1万円札は、シリアルナンバーが控えられている恐れがあるから、いちど仮想通貨を購入し、ふたたび仮想通貨を現金にもどせば、洗浄完了。

おそらく、マイナスの意味で使われている言葉です。たとえば、高校生が大学受験をして東京大学に入ることは(浪人を経ても)むずかしい。しかし、東京大学の大学院に入ることは、それよりは簡単だ。
あまり知名度のない大学の出身でも、「大学院から東大に入る」ことにより、最終学歴が東京大学となり、学歴の洗浄が完了、という寸法。

ぼくが学部時代に通っていた大阪大学の文学部からは、京都大学の大学院に行き、学歴ロンダリングをするひとが多かった印象です。学部で京大に入ることはできないが、大学院からならば門戸が広がる。大学院進学は、経済的に不利なので、競争率が下がるため可能となる。

これ、知名度の高い大学に、学部時代から(大学受験から)所属して、ストレートに大学院に進学したひとからは、苦々しく見られます。

残念なお知らせをしますと、大学院生になっても、知性の基礎ポイントみたいなものは、大学(学部)で測定する、みたいな暗黙の了解があります。個人的な感じ方ですが、恐らくそう。
ですから、厳密な意味で、同業者のなか・ムラ社会のなかでは、学歴ロンダリングはつねに失敗します。「あのひとは、学部はどこだよね」と、かならず見透かされるので。

経験上、新卒採用がメインの大企業に入ったら、50歳を超えても、「だれだれさんと私は、大学は同じだけど、かれは一浪しているから、私よりも1つ年上なんですよ」みたいな会話が、日常的に行われます。
学問の世界、大学はもう関係ないのに、会社のなかで序列を測定するとき、大学および年齢(浪人の有無、年数)が見透かされるわけですから、これはもう、仕方ないのかな、、という気もします。

ここまでは、ぼくの現状認識ですが、じゃあ、学歴ロンダリングはやるべきではないのか??というと、ぼくは、大学院から別の学校に移る、もしくは、博士課程から別の学校に移ることには、肯定的です。
なぜか。
大学や大学院に属すると、人間関係や環境をリセット(しないまでも変更)するチャンスが、劇的に少ないからです。学歴ロンダリング(と呼ばれる、あまり褒められることのない行為)は、人間関係や環境を変更できる、数少ないチャンスです。これをうまく使うことが、とても大切だと思う。

勤めびとの場合、転職できたり、一定規模の勤め先ならば、異動・転勤によって、人間関係や環境をリセットできます。「さまざまな職、さまざまな事業所を転々とし……」というと、ミジメったらしい感じがしますが、これって、生存戦略というか、リスクヘッジとして、たいへん優秀だと思っています。もっとポジティブな捉え方をして、出会いや挑戦のチャンスも、転職・異動・転勤によって舞い込るとも言えます。

大学や大学院には、入学試験という関門があり、また、年単位でしか、線路のスイッチができない。学位をとるためには、同じ場所に、かなり長い年数にわたって所属し、濃密な人間関係に巻き込まれなければならない。
だからこそ、「切り替え」のチャンスは、積極的にものにしていくことが、大学院生にとって、かなり大事なのではないか。「学歴ロンダリング」と後ろ指をさされることを恐れ、尻込みするのは、割に合わないのではないか。などと思ったりします。よそに行きましょう、よそに。

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